余白と想像力と。

(5月ぐらいに別ブログで書きかけて放置していたやつ。ちょっと書き直して上げてみます。)

突然ですが、魚喃キリコの漫画が好きです。

秋に公開の南瓜とマヨネーズも写真が公開になってて、撮影は川島小鳥さんだそうで、ちくしょうその手には乗らないぞ!!(何のだ…)と構えていたものの、実際見たらやっぱりときめくよ…ね。
なんとなく、私の中では主人公は木村文乃のイメージだったけど、臼田あさみちゃんもいい。
こないだ久しぶりに読んだらなんかものすごく泣けてびっくりした。

とある休日、ふと本棚から「Water」を取り出す。
この中に入ってる「リキテックス」て話、主人公が同じ名前だったり、舞台がデザイン(美術?)の専門学校だったりで親近感あって好きでした。

魚喃作品といえば、柔らかい線と余白。
この線に魅了されて、私もこんなイラスト描きになりたいって思ったんだっけ。
無駄が排除された白と黒の背景にデザインの面白さを発見したり。

余白といえば、林静一の「赤色エレジー」とか、卒倒してしまいそうなほど最高です。
一切の無駄がないこんな計算され尽くした余白、どうやったら描けるんだろう。

ただの白ではない、絵の一部としての存在感を放つ余白。
色としての白を軽く超越してしまった、白。
それはまるで3D映像のように浮き出てきて、ページをめくる私の目を、心を、ガシっと掴んで動けなくしてしまう。

もはやそれは、余白ではなく、宇宙…! そう!space!
(ああしょうもないこと言ってしまった…すみません)


余白って、日常生活においてもとても大事だと思う。
それは敢えて何もしない時間だったり、何かに(誰かに)傾倒しないことだったり。

すぐにいっぱいいっぱいになって追い込まれて自信をなくしてしまう私は、まだまだ余白に対する姿勢が甘いなと思う。
生活も創作も両方…。

でも、余裕がないとか自信がないとかいうのは、あくまでも自分の中だけでの話で。
私の姿勢なり作ったものなりを見て、私を信頼してくれる人に対して、そういう揺らぎを見せることは誠実ではないなって、痛感した。
今更こんなこと言ってる自分も情けないなあと思うけども…。

だからもう、そういうのはやめます。

自信のなさとかを克服するのは多分もう少し時間が必要なのだろうけども
(思ってたより自分の自己肯定感の低さは深刻だったみたいだ…)

少なくとも、自分への信頼や愛に対しては、その時の自分に出来る精一杯の誠実を返そうと思う。

そのために必要なのは、やっぱり想像力。
まだまだ狭い自分の輪郭を、もっともっと広げていかなければ。

例えば、例えばだけど、何か作るとき、私が握るマウスが動かす先、ペンが動かす先に宇宙が広がるのを、もっともっと想像出来ているか。

もしかしたら、そこから生まれた線で、形で、人生が変わるほどの衝撃を受ける人だっているかもしれない…ってことを、自覚して、責任を持てているか。

いや、こんなこと言うと大げさかもしれないな(笑)

多分、そんな壮大じゃなくても、まずは自分の半径数メートル内にいる人たちがどうしたら笑ってくれたり喜んでくれたりするのかって、そこから始めたらいいのかもしれないね。

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