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第11話 テクノロジーが社会問題を解消する未来

何かと何かに文脈上分けられるとき、分けられるべき背景があります。

例えば生活をする場所が『自宅』なのか『老人施設』なのかを分けるときには、背景として『子供が同居していない』とか『買い物ができない』といったような背景があるというようなことです。

これは背景が変わっていけば分ける基準が変わってくるとも言えます。

上記の例で言えば『子供が同居』すれば『老人施設』ではなく『自宅』で生活できるといった具合です。

僕はこの文脈上分ける背景が今後大きく様変わりして、社会問題が『解決』するのではなく『解消』することが多くなってくると考えています。

再度上記の例を引用すると、『自宅で生活』することを成し遂げたいとして『子供が同居』することが必要で、その為に補助制度を整えたりキャンペーンを張って意識改革を進めたりという方法をとるのが社会問題の『解決』。テクノロジーが進歩して世界から認知症が無くなったり、どこでもドアが発明されたりすることで『そもそも同居する必要が無くなり』『自宅で生活できる』というのが社会問題の『解消』といった具合です。

僕はテクノロジーの変化が今後加速していき、認知症が無くなる時代、転倒することが無くなる時代、歩けない人がいなくなる時代が来ると予想しています。今は認知症があるので仕方なく老人施設に入って生活している人が、転倒するので仕方なく…歩けないので仕方なく…ということ自体が消えて無くなる、つまり問題自体が消し飛んでしまっている時代が来るということです。

問題が無くなるのならばわざわざ老人施設で暮らす必要は無いはずです。施設だ自宅だと分離すること自体が意味を失う。好きで集団生活がしたい人は別として問題が無いのならば多くの人は住み慣れた自宅で生活したいと願うはずです。

テクノロジーが開発される度に自宅で生活する人が増えていくはず。解決していない問題が少なければ少ないほど自宅で生活できる可能性が高まるはずです。その導入と調整に介入する専門家はしばらくの間必要とされると思うのです。

でもいつの日か僕がやろうとしている事業も社会問題自体が無くなり、いつか意味をなくす日がくるはずです。その日までは社会問題を解決しようともがいてみようと思います。

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