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Where is my self-driving car? 僕の自動運転車はどこにいってしまった?

Where's my flying car?

 巷でこんな有名なくだりがある。「Where is my flying car?」(僕の空飛ぶ車はどこにいったんだ?)空飛ぶ車について、あるジャーナリストが21世紀の直前に、空飛ぶ車がまだ実現していないことについて言及したものである。「結局どうなってしまったんだ? 3年間の保証付きの空飛ぶ車は?」

 飛行機と自動車を合体させたこのアイディアは、今ではレトロフューチャーの夢に過ぎない。だが、この夢は形を少し変えてeVTOL(電動垂直離着陸機)の実用化に近づきつつある。

 そして同じようにこんな問いかけもできる。「Where is my self-driving car?」僕の自動運転車はどこにいったんだ? 自動運転車の実用化は空飛ぶ車と同じように20世紀前半から謳われていたのに、未だ公道でそれが”普通のように”は走っているところを見かけることはない。

 空飛ぶ車や自動運転車に乗れる日は現実に来るのだろうか?

20世紀の自動運転車とその夢

 機械に運転を任せるという自動運転のアイディアは空飛ぶ車と同じくらい、古典的なものである。
 早くも1930年代から自動運転車が登場するフィクション作品が登場し、20世紀後半にはGM(ゼネラルモーターズ)による自動運転の構想がはじまった。

ニューヨーク万国博覧会でGMが構想した自動運転車社会


 運転を機械に任せれば時間が浮くだけではなく、事故や渋滞を大きく減らすことができると言われている。実際の自動車事故の要因の多くが不注意といったヒューマンエラーである。機械なら居眠りすることもなければ、運転以外のことを考えることもない。自動運転は多くの人々の命を救うだろう。
 それだけではない。渋滞が解消されることはアクセスをより活発にするだけではなく、CO2の排出量も削減することができる。自動運転はこれまでのインフラを根本的に変える、夢のような技術になるだろう。

 しかしそれが本当に夢に過ぎないのなら? 空飛ぶ車も、インフラを根本的に変える夢の技術と言われてきた。そしてその後に人々が感じたのは技術発展に対する過度な期待と皮肉だった…

なぜ自動運転車は実現しないのか

  • ハッキングを完全に防ぐセキュリティがない

 ハッキングに対する完全な対抗策は未だ存在していない。デジタル化された自動車に対するハッキングの容易さは、すでに多くの事例によって示されている。現時点でハッキングやサイバー攻撃を完全に防ぐ画期的な技術はない。バグがないコードが存在しないように、絶対にハッキングされないコードも存在しない。現時点では、ブラックハッカーとホワイトハッカーのいたちごっこによってセキュリティが保たれているが、一度の事故でも多数の人命に関わる自動車業界において、このサイクルを保つわけにはいかない。

  • そもそも不可能(というより遠い未来のどこかで…)

 人工知能は日が経つにすれ更に賢くなっているが、レベル5のハンドルを排除した完全自動運転は、AGIのような「強いAI」が登場しなければできないといった見方がある。
 例えば、現在の自動運転のシステムは赤信号をあくまでも画像として認識しているだけで、本質的に認識しているわけではない。コンピューターにとって赤信号はあくまでも赤い光であって、それ以外のものではない。カメラに赤信号の写真が映ればそれでいいのである。それに比べて人間は敏腕で、経験や”統計的な”推測から、信号機や道路標識がなくても走ることができる。
 それにトロッコ問題のような必然的事故にコンピューターが対処する必要がある。例えば衝突する寸前にスピードや衝突角度を微調整し、乗員の被害が最小限となるような体型で衝突する。そのためには現実世界の物理演算を
できれば原子レベルで)何百回も計算しなければならない。そしてそれをシミュレートするには、スーパーコンピューター同様またはそれ以上のスペックが必要になる。

Where is my~~/ It`s here.

 もしかしたら私は待ちきれないだけなのかもしれない。もしかしたら私はよく外を見ていないだけで、普通に走っているのかもしれない。
 個人的には自動運転車に乗る日々が来るのはまだまだ遠そうだ。

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