女子と学歴(1)~学歴に 意味があったり なかったり~

なかなか書きにくいテーマではありますが、自分にとっては人生ずっとこの問題に悩まされてきたテーマでもあります。今回、このテーマで文章を書くにあたっては、自分の経験や、身近な友人の発言などを参考にしており全く学術的な裏付けなどはありません。故に、読むと不快になる方もいるかもしれませんが、意外と踏み込まれにくいが深刻な問題なので、敢えて書いてみたいと思います(炎上するほどの影響力もないので…)。

大学進学率は50%を超え、ほとんどの人が大学に行くかのように一見見える日本ですが、世界の「男女平等ランキング」では毎年非常に低いところに位置しており(日本は世界153か国中、120位 https://sustainablejapan.jp/2021/03/31/global-gender-gap-report-2021/60498)、いまだに職場など様々なところで多くの女性が差別に直面しています。日本の社会の独特の生きづらさ(組織の中で目立つ人をひたすら叩く村八分、体育会系思想の強さによるガンバリズム、非合理主義、残業至上主義など)は男性にも向けられており、女性だけが大変なわけではないですが、特に女性は生きづらさを抱えていると思います。

自分の周囲には、フルタイムで仕事をしながら子育てをしている人が多くいるのですが、それでも、毎日子育てと家事は主に女性だけがやっている、というような話をまだまだ耳にします。一生懸命、世間的に「良い」中学・高校などに進学し、その後も一生懸命勉強して「良い」大学で一生懸命卒業論文を書いたりなどしたとしても、その受験勉強の能力と論文作成能力が、果たして卒業後の人生で生きるのかというと、どうも謎なところがあります。自分は本当に論文などをまともに書けずドロップアウトしてしまったのですが(なんとか卒業だけはした)、割と早い段階で、「どうもこの「ろんぶん」やレポートを頑張っても、全く意味がないのでは?」と思ってしまって放棄していたのと、本当にやる気も能力もなくて書けなかったのと両方が理由でしたが、意味がないのでは?と思った感覚は当たっていたと思っています(就職先によってはこの説は当てはまりません、ちゃんとした研究成果や大学での成績を重視する就職先もあるので…)。

多くの方が様々な媒体で批判していることで「今さら」感が否めないことではあるのですが、どうも、大学までの学校内で学ぶことと、社会人として仕事を始めた後に求められるスキルには大いなる隔たりがあります。学校でもいろいろと差別はあったものの、女性だという理由で授業が聞けない、男性にしか良い成績がつかない、というようなことはなく(医学部の入試の問題なども明るみになり、全く存在しないとはいえないのでしょうが)、女性の先生も多くいたので、当然だと思っていた男女平等意識と比べ、大学を卒業したあとの社会にまだまだ色濃く残る男性中心社会の実態に乖離があること、男女の不平等(というよりは役割分担意識?)の状況が、まだまだ色濃く残っているのに、そのことを教育現場などで教わる機会が一切ないために、全く伝えられておらず、「自分たちの世代はもっと厳しかった」と思ってしまっている親世代の女性差別への怨念のような感情が、この問題をややこしいことにしていると思います。

色々と書きたいところはあるのですが、自分の(若干残念な職場での)経験上、この「女子と学歴」問題を考えた時に、いくつか、不都合すぎてあまり思い出したくもないが、「学歴に意味があるのかなやまされた事象」を思い出し、以下に記します。

★日本においては、所属組織の権力を持ったおっさん(orお局さん)に好かれないと何も上手くいかない

★しかしそのおっさん(orお局さん)の評価基準は、人や組織によってコロコロ変わる(外見の良し悪しなのか、体育会運動部経験なのか、同じ大学の同窓であるとか、学歴なのか!?「なんとなく」「おっさん(orお局さん)の」気に入る、気に入らないが重大なファクター!)

★そうなるとマジョリティーに好かれる可能性が高まるスペックを与えたいと親は思い、その一つの要素が「学歴」なのであろうが、その親の思っている必要スペックであるところの「学歴」が、「コロコロ変わるおっさん(orお局さん)の嗜好」「組織の事情」に合わなかった場合は逆効果になる(例えば上司の学歴よりも高い学歴を持った社員のことが気に入らなくて執拗にダメ出しをされるなど)。

この問題が全く取り沙汰されないのは何故でしょうか。

★社会に出る前に接する女性は、母親あるいは小学校~高校までは教員採用試験を受けて先生になった女性、そして最後に出会ったのは、大学教授(!)となった女性である。
「学歴」(大学の場合は論文作成能力など?)を主な武器として戦える組織にしか所属したことがなく、「女性差別が著しく強い社会の中で、勉強が著しくできたことを主な武器として終身雇用のポストを得た世にも稀な女性たち」であったために、「学歴があるせいで所属組織のおっさんに嫌われて執拗にいじめられた」というような経験が少ないので、その深刻さを知らない。

また大手企業に好景気だったゆえに大量に採用される時代に入社した経験のある女性たちも、「学歴さえあればなんとかなる」と勘違いしている。逆に女性であるだけで全く就職の門戸が閉ざされていた世代の方々も、「学歴さえあればなんとかなる」と勘違いしている。というかほとんどの教員が任期つきなのに、定年までのポストを得ている希少な大学の教授は、もはや貴族のような人種である。そんな貴族たちに「ここであなたたちが教えていることが、卒業後の企業などで求められる能力とあからさまにずれており、おおむね全く意味がなかったかもしれないと、卒業後多くの友人が飲み屋で焼き鳥をつつきながら苦悩している」「断捨離ブームで大学時代のレポートなどの資料が捨てづらいけど捨てたい候補の筆頭にあがる」「こんまりは書類を全部捨てろと言っている」とは、誰も言えないのである(言ったとしても聞いてないだろう、卒業後教え子がどれほど苦悩したとしても、彼らの給料は減らないのだから…)。

景気が良かった時代を生きた人々は、非常にわかりやすい競争軸の中を生きていた世代だったので、「学歴さえあれば、なんとかなる!」と思っていて、子供にそれを伝え続けている(ある意味、なんとかなっている人も確かに多いとは思う)。もし仕事がうまくいかなくても、数年で辞めて結婚し子育てでもすればよいのよ、などと思っている母親も多い(母親となった自分がそうだったから)。
→それらが今やすべて「頓珍漢」な確信となり多くのひとが「学歴さえあれば、なんとかなる!」と思っている

★子供が名の知れた学校に行くと、本人およびその子供の親や親族が大変に誇らしい気持ちになれる。その「本人および親や親族、がとても誇らしい気持ちになれる」ことを利用する塾、予備校などの企業や、高額な学費を支払わせる私立大学などが、その感情を無自覚に利用している(関係者に自覚はない)

その2に続きます…。






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