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台湾メモリー(2)~あの頃はとにかく焼肉うまかった(脱線)~

寮の廊下で「台湾行く?」と言われ「行くー!」と言って
台湾に旅行に行ったあの日。

そんな感じでよく寮の友人たちと出かけていた。

何せ寮に住んでいると待ち合わせの必要がなかったので、すぐに出かけることができたのだ。

一番思い出に残っているのは、地元密着の焼き肉屋さんである。

そのお店で、「銀河高原ビール」というビールのおいしさを知った。
テストが終わったら必ず行っていた。
授業の登録日の日の夜も、必ずその焼肉屋にサークルの友人たちと行っていた。

それにしてもあの時のあの焼き肉は、なんであんなに楽しかったんだろう。
相当に美味しい肉をお腹いっぱい食べても、
一人3500円とかだった気もする。

3500円で信じられないほどたくさん食べられた。

今は、そこまで焼肉が美味しいと思えない
(加齢による胃の弱りが影響しており、日々のストレスもあるため)。

大学時代の苦い記憶ばかりを本noteでは集中的にしたためてきたけど、
一気飲みをすることもなく、お酌をする必要もなく、
誰が来るのかを心配することもなく
(例:バブルっぽいノリや人を値踏みするトークがとても苦手な
   〇〇課の〇〇さんが隣の席に来ないでほしいなど)
女子力、なんて気にしないで、本当に男性女性の区別なんて気にせずに
やんややんやと過ごせたあの頃の、焼き肉屋。
間違いなく、人生で最も幸せな時間のひとつだったと思う。

私は今も、何か大変なことが終わると家で焼肉を食べる癖がある。
銀河高原ビールも飲む。
銀河高原ビールを取り扱っている最寄りのスーパーを偏愛している。

同じメンバーでまた同じ焼き肉屋に行けることは、
恐らく二度とないだろう。
頑張れば数名の友人と行くことは可能かもしれないが、
お互いの環境が違いすぎて、あの頃とまったく同じようには、話せないだろう。

焼き肉屋に行ったことがなくて巨大なロース肉をハサミで切ると知らず一人で食べたら、ぎょっとされた日…。
なぜかマニアックなホルモン系ばかりを頼みすぎて後から来た友人がドン引きしていた日…。
有志で行われたオペラの曲を歌いまくった打ち上げの日…。

このnoteは自分にとってのトラウマ掃き出し場とさせていただいているため、学生時代の否定的な思い出ばかり書いているけど、
日々ほとんど誰からも値踏みなどされず、女子力もお酌も要求されない世界で、基本的に自転車移動だし誰もお洒落などしていなくて、楽しいことのほうが、ずっとずっと、多かった。

私にとっての初めての「東京」の中心は、
あの、どこの駅からも遠い、寮から最寄りのコンビニまで歩いたら
息が切れるほど遠く靴擦れができた、そんな地域だった。
電話番号は03ではなかった。留学生は「今日はTokyoに行ってきます!」とたまに言っていた。Tokyoではないと思われていた。
どこへ行くにもそれなりの時間をかけて自転車と電車を乗り継いで出かけることも、時間がありあまっていたから、そこまで不便だと感じたことはなかった。

銀河高原ビールと焼き肉屋の楽しさを知った時期、
上下関係がほぼなかった、大学時代の、男女問わず優しい人ばかりだった
奇跡のような環境で日々を過ごした、
地方都市でこじらせまくっていた私のことを面白がってくれた
バックグラウンドがまるで違う、優しい友人たちの温かいまなざしや言葉のおかげで生きてこれた。

学生時代から積極的に芸術にまつわる仕事に関わりたいと言っていた友人たち、映画や、音楽、出版などの世界になんとしてでも入っていく、というようなことを表明している人たちもいた。学生でありながら、本を出版している人もいた。「友達が魔女についての本を出しました!」と寮の会議で後輩に言われたときは「友達が…魔女についての…本を…出した!?」と不条理な言葉の羅列を楽しむゲームの文章を聞いたような気にさせられたものだった。

仕事としてではなくても、個人で表現することを習い続けたり、二足の草鞋をはくかたちで字幕翻訳の勉強をしていたり、思いもよらぬスポーツの競技に挑戦している人がいたり、サラリーマンとしての生活だけではない世界に関わり続けている人たちがたくさんいる。

地方都市の狭い狭い世界で受けた苦い経験から、あらゆる物事を見下して冷笑しがちだった自分は、積極的に動くことが長年できなかったのだが、今になって、いわゆる世間のルールとは異なる場でやりたいことに励む友人たちが周囲にたくさんいたことのありがたみを感じるようになった。

当時から、当たり前のように英語を話して、特に特別なことだと思わずに、留学や旅行で、海外に気軽にいく人は多かったし、企業に勤めながら海外勤務になっている人もいれば、卒業後海外の大学や大学院を卒業して、海外に拠点をおく組織で働く人もいる。国際結婚をしている人も多いし(本当にとても多い。。)サラリーマンとしての生活をすっぱりとやめて、移住を真剣に考えて、国境を越えていった友人たちもいる。非常にドメスティックな閉塞的な世界に生きている自分にとっては、そういう選択をしている友人たちに、うらやましさと、自分はそっち側ではない、というようなねじれた気持ちを感じることもあるが、日本の中だけで生きていると気づきにくくなる、海外で暮らすことをそれほど特殊なことではないと示してくれていた友人たちの活動には、驚かされたし、ずっと、励まされている。

閉塞的な世界から、日本の外へ、それほどの抵抗もなく、出ることができると教えてくれたのは、あの時、一緒にわいわいとカルビやサンチュや冷麺を食べた友人たちのおかげなのだった。

当時、英語から目を背けて、授業を開始5分で寝こけていた私は、あらゆる面でコンプレックスの塊だったから、目立って英語ができる人やいろんな活動に積極的に関わって活躍している人のことを、けなしたりもしていたけど、心の底では、「あんな風になりたい(…無理だろうけど)!」と思えるような友人たちが、周りにたくさんいたのだった。

日本人なのに、外国語ってこんなに上手になれるのか、そんなに気軽に海外って行けるのか、と衝撃を受けつつ、そんな友人たちの様子に刺激をうけたから、自分も留学ができた。その当時の強烈な記憶によって、今でも、語学の勉強を続けられている。

仕事や結婚の関係で海外で暮らしている人も多い現在、簡単には焼き肉屋には行けないけれど、またいつか、どこかで、焼肉を食べに行きましょう。

(noteの話題は避けてくれ!)

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