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偏差値で 測れぬ「センス」の難しさ〜不都合な「才能」についての考察(2)〜

 学生時代、自分の周囲には、いつか面白いことをやってやろう!いつかすごくなってやる!というようなオーラを漂わせている同級生や先輩、後輩たちが多かった。90年代後半から2000年代初頭の、景気が最悪になり、どことなく陰鬱な空気が世の中を覆っていた、そんな時代に自分は学生時代を送った。今で言うとサブカルチャー、と呼ばれる、尖ったものを好きな人が周囲に多く、わけのわからない行事にあけくれた寮での生活にどっぷり浸かり、青春のすべてをささげたといっても過言ではない。

当時、7つあったうちの4つの自治寮は、その後、ICUの卒業生ではない、縁もゆかりもない、マッチョな高学歴男性たちが権限をもってしまい、新しい建物が何十億円もかけて次々に建設されたことにより、2010年以降に次々に閉鎖されてしまった。その後は、低めのタワーマンションのような、それまでの寮の運営方法とは大幅に違う、家賃もそこまで安くもなく、自由な活動が全くできない寮が次々に建てられた。今でも、そのことを、心の底から悲しく思っている自分であるが、「アーティスト養成!」などとうたっているわけでもないのに、卒業後20年弱経って本当にアーティストになっている方もいるし、職業として、劇作家、演出家になっている方々もいる。表現の道に進んだ方が全員が寮生だったわけではないが、学生数が少なく、皆が顔見知りの環境で、日本人だけではなく様々な国からきた留学生と共にキャンパス内で共同生活をしていたことは、非常に恵まれた環境だったように思う。何万人も学生がいるような大学では考えられないほど、頻繁にホールが借りられて、幾つものサークルを掛け持ちしつつ、演劇やミュージカルなどにも真剣に関わっている友人たちがいた。

学生時代に見た、友人が制作していたある舞台では、エキストラから小道具、脚本に至るまで、ほぼ全員友人が関わっていた。全員、知っている人が出てくるなんて、面白いに決まっている。単なる内輪受け、ということではなく、内容も、今思い出しても素晴らしい演劇だったと思う。批評家ぶって辛口のコメントなど書いていたが、全員学生だったのだから、辛口なんて必要なかったと、自分のこじらせた自意識を思い返すと、恥ずかしくてたまらない。

ICUの授業を通じて、受験英語しかできなかった自分も、英語力が身につけられ、さらに留学生と交流しつつ、自己表現をする機会が豊富にあった、というキャンパスは、改めて素晴らしい環境だったと思う。コロナもなく、監視カメラもなく、スマートフォーンもなく、良い時代に大学生活、寮生活を送れたと今でも思っている。


そんなキャンパス環境の中で、自分自身、「何者(©️朝井リョウ)」になれるかのように錯覚しつつも、どこかで「何者」になるほどの能力はないのかもしれない、とずっと煩悶していた。本気で物書きになろうとしている人たちと対抗できるほど、うまくもないというか、文学全般に詳しいわけでもなかったし、就活のときは出版社をたくさんエントリーしたわけでもなかったし、そもそも仕事、労働そのものに強い強い苦手意識があったので、アルバイト経験も大学内ばかりで、とても狭い範囲でしか生活をしていなかった。幼少期に辛酸を舐めた経験の影響で培ってしまった、持ち前の卑屈さから、真剣に表現をして生きていける自信は、全くなかった。
 
40代に入り改めて考えてみると、演劇でも、映画でも、文学でも、音楽でも、ダンスでも、表現の世界で生きている人たちは、20代のうちから作品を発表したり、応募したり、表舞台で戦うための勝負をちゃんとして、この世界でなんとしてでもやっていきたいと、覚悟を決めてかかわっている人ばかりなのだということに思い至った。

役所広司は世界に3人いるのかな、というくらいに、頻繁に日本映画に出演している重鎮の俳優である役所広司氏のように、一度サラリーマン(役所勤め)を経験して、役者の道に進んでいる、というような方もいる。ミュージシャンのスガシカオ氏も、サラリーマンの傍ら、20代の頃に曲を作りまくっていたという。スガシカオと役所広司をひとくくりにするのもだいぶ荒っぽいとは思うが、彼らはかなり早い段階でサラリーマンの世界ではなく、表現の道に進むことを決断していた。

自分は、表現を生業にしては生活をしていけないのではないか、家賃が払えないかもしれないのではないか、更新料の支払いをすっかり忘れていて大家さんが激怒するのではないか(ガチ鬱時代の実話)、うっかり家賃が払えなくて、名作ロシア文学よろしく、大家さんを殺めてしまうのではないか、というような不安が大きく(さすがに殺めることはないとはいえ)、表現者として生きていこうと思えるほどには、自分の能力への自信がなかった。もっと挑戦しておけば良かった、という歯痒い気持ちを若干感じないわけでもない。しかし、20代の頃は、激鬱だったこともあり、そのようには全く思えなかったのだから、仕方がない。

映画でも文章でも、何かを表現して生きていく、ということに対しては、自分自身がどれほど自分の才能を確信できるか、ということが鍵になってくると思う。さらに、その才能をはばたかせ、多くの人の手に届く形にさせる(お金に困っていない)(業界とのつながりをちらつかせるのではなく、ちゃんとしっかり持っている=※この「つながり」においては、「高学歴マッチョ男性に嫌われない」ことが、いやむしろ、好かれることが、大きな大きな意味を持つ!)優秀な大人、の存在がとても重要になってくる。ここで、受験勉強にどっぷり浸かっていた立場からすると、とても難しいと感じるのは、何かを表現する上での「センス」には「偏差値」のようなものが、一見、あるようで、明確には存在しないということである。

拙noteで散々批判している、自らの出身中学・高校・大学等の偏差値が高い、ことに過剰なほどのプライドを持って周囲にそれを振り撒き続ける人も、そういうわけでもない人でも、誰でも、何歳でも、いつも何度でも、ある意味、参入できてしまう世界である。その明確な指標のなさが、夢を与えられるという意味では楽しいが、一方でとても残酷な世界だとも思う。

映画の評価については、海外の映画祭で評価をされたら、それが最高峰の評価だということに一応、うっすらと、なっているが、ただし、その軸だけが最高評価とも言えないところが厄介である。私がとても驚いたこととして、自分にとっては人生を変えたと言えるくらい面白い映画を作っていた監督が、カンヌ映画祭で賞を受賞した作品すらも作っているにも関わらず、その後、コンビニでアルバイトをしていたというエピソードであった。クエンティンタランティーノもレンタルビデオ店でアルバイトをしていた時代が長かったというが、彼は今や大金持ちである(きっと)。カンヌ映画祭は、たとえかなり大きな賞をとっても、「賞金がない」のだという。日本人の映画監督で、独立系の映画の監督業だけを行っている人は、どうやって生きて行けばいいのか…?これは深刻な問題だと思う。真面目な話、最近は作家業などをお笑い芸人と並行して行っている人もいるので、まずは吉本興業に所属した方が良いのでは…とすら思う。無理だろうけど。

肯定的に捉えれば、誰でもいくつになっても表現でき、何かのきっかけで、世界的な賞を取れるかもしれないと考えることもできて、「チャンスは無限にある!」とも言えなくもないが、表現の世界において自分の才能を俯瞰し正確に判断するというのは、同時にとても難しいことであるとも思うのである。映画や文学など、クリエイティブなものに関する評価は、偏差値のように明確な、誰でも共通して理解できるような尺度がないからだ。

私はM-1グランプリが好きで、笑い飯の「奈良の博物館」に関するネタが特に大好きなのだが、「笑い飯の漫才の面白さが、まるで理解できない」と心からうんざり、というように言っている友人もいて、それも、多少、わかる気もするのである。横山やすし師匠が、人気絶頂の時代のダウンタウンの漫才を見て、「チンピラの雑談」だと酷評したというエピソードも、生々しく記憶にある。

「好み」と言ってしまえばそれまでだが、映画にしても漫才にしても小説にしても、「趣味に合わない」人から見たら、どんなに放送業界で有力な賞を受賞していても、上沼恵美子師匠が満点をつけたとしても、世界に名だたる名匠が絶賛したすごい作品であっても、つまらない、のである。

〜(3)に続く〜

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