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少子化が止まらぬ理由を考えた・・・!結婚でQOLが下がるから!?

 2022年のM-1グランプリ優勝を果たした、吉本興業ではなく、タイタン所属ウエストランドが、年末に披露していた都会と地方都市についてのネタは(ハードディスクの容量が少なくて即座に消してしまったため、番組名が思い出せない)地方出身の身には、染み渡る内容だった。私の母は今も情報番組(例:王様のブランチ)を熱心に見ている。一生、行くことのないデパ地下の情報を浴びている。一生食べることがないかもしれないパンケーキ(パンケーキが流行していたのは一体いつなのか!?古いのかな・・・そういえば今は無くなってしまった、ihop=international house of pancakes?複数?という、たまに夜中に近所の寮の友人と行ったパンケーキの店が懐かしい)の情報を毎日、毎週、地方都市でぼんやりと、あるいはうきうきと、見続けている人たちがたくさんいる。特に私の地元には、ローカルテレビ局が存在しないので、東京発の情報を見るしかないのであった。なんと、全都道府県の中で、ローカルテレビ局およびローカルFM局がない県は、一県しかないのだと上京してから知ったが、どういうことなのか。世界最高性能(自称)の、電力発電所はあるのに。

 大学時代、東京出身者の存在に慄き、実家でご飯を食べながらレポートを書いている人がいると知った時の衝撃は相当のものだった。条件がだいぶ違う。違いすぎる!と、羨ましく思っていた。今にして思えば、一生記憶に残るような衝撃的な寮生活を送れたのも地方出身(たまに東京近郊の人もいたけど)だったが故なので、むしろ恵まれていた面もあったものよのう(詠嘆)とは思うけれど、大学卒業後、寮生活のゆるい友人たちとの濃密な交流がなくなり、絶望の中、一人暮らしをして、仕事を始めるも全く適性がなく人間関係に悩んでいた時、東京や東京近郊の実家に住んで職場に通っている人たちが心の底から羨ましかった。なぜか、実家から職場に通っている人は「3万円」収めるというルールがあったけれど(個人差あり)、3万円なんて!家賃にもならない。3万円は、風呂なしのボロボロのアパートの金額なのだ。少なくとも家事を自分でやる必要がないのだとしたら…朝ごはんを作ってくれる家族がいたら…家賃や光熱費を一切払う必要がないのだとしたら…どれほど楽だろうかと思った。採用の時、女性が実家から通っているかどうかを面接で確認する企業があるとも聞いた。なぜなら、そのような条件の人の方が余裕があって、仕事を熱心に頑張ってくれるから、というような理由だった。今は流石にそんな個人的なことを聞くような企業は少ないかもしれないが、とてもショックだったし、驚いた。

 自分の場合は、大学の寮で、あまりにも年季の入った木製クローゼットの扉(なんと呼べばいいのかわからない)が、斜めに傾いて頭上に落ちてきたりしたので、思わずその傾いたクローゼットの扉の下で腰を屈めて宇多田ヒカルのAUTOMATICごっこをしたりして楽しむなど、事務机と木製クローゼットのボロボロ寮生活を思い切り楽しんだのだが(今は机とベッドがもう少しデザインが素敵なものになっていた!床はかなり年季が入ってたけど!)その後、一人暮らしを始めた和室6畳の、夏はビニールハウスのように暑くなり、エアコンをつけると寒過ぎて風邪をひき、冬は外かと思うほどに、いや、なんなら外よりも寒い、木造モルタルづくりの断熱材が全くなさそうなアパートにおける孤独な一人暮らしを経て、徐々に住環境が良いものになっていき、さらに結婚したことで、生活環境は間違いなく良くなった。鰻登りによくなった!

 しかし、もし東京や東京近郊で生まれ育ち、実家に長いこと住んでいたとすると、実家の部屋に住んでいた時のQOL(クオリティ・オブ・ライフ)が最高、の可能性がある。潤沢な資金を糧にスムーズに広い部屋のマンションなどに移り住めるような恵まれた方は良いが、結婚した途端、家は狭くなり、家事を担いつつ、家賃を払わねばならなくなり、さらに家族を養う責任、などなどがのしかかってくることになるので、生活が独身時代よりも大変になってしまう人もいるかもしれない。当時は、あまりその価値を分かってはいなかったのだが、18歳で地方から東京に上京すると、嫌でも生活のコストなどについて考えることが増える。その経験は、結婚生活においては間違いなくプラスになっている。寮生活において、家族でもない、元々は他人であった友人たちと濃密な人間関係を築けたことも、今の生活に多大な良い影響を及ぼした。他人と生活をする大変さと、楽しさを経験できたからだ。何より今でも印象に残っているのは寮の風呂場の排水溝の掃除である。ホラー映画のように、髪の毛がたまるのである!あの排水溝の掃除は、それまで家の手伝いなどもあまりしてこなかった自分にとっては本当に重要な経験だったと思う。今も掃除や片付けは苦手なのだが、排水溝は楽なのだ。30人以上が共同生活をしていた風呂場の排水溝の髪の毛のことを思えば、家の排水溝の掃除は楽なのである。今は業者さんが入っているようだけれど、一部、掃除当番は残っているとも聞いた。あの、風呂など、忘れてはいけない場所の掃除をうっかり忘れた時の恐怖や、忙しくて寮にいなかったりして掃除をしない人々が連続で続いた3日目頃の次の日に、かなり掃除に厳しい先輩が風呂担当になっていた時の階段の上に貼られた掃除の表を見た時の、戦慄するような恐怖は、残念な職場における諍いなどに耐える上での重要な基盤を作ってくれたと思う。本気で学びが多かった。ゴミのようなものしか書かなかったが、レポートよりも学べたと思う。真面目にやっている人と、あまり真面目にやらない人、担当業務の負荷の差による壮絶な恨みや諍い。これはあらゆる職場や狭い世界において見られるのではないかと思うが、その状況に耐えられる力は間違いなく寮で育まれたと思う。耐えられているのかは謎なところもあるが…。

 東京や東京近郊の実家に、特になんの不満もなく暮らしていたら、家族がとても理解があって、日常的に職場の愚痴なども聞いてくれるような母親や父親がいたら…経済的には余裕があると思うけれど、実家を出て結婚した途端に、生活の質が間違いなく落ちてしまうと思う。まぁ、比較してもしょうがないことではあるのだが、自分は過酷な幼少期や、青春期を過ごしてきたことで、今のQOLは爆上がりしたので、とても幸せである。斜めに真っ直ぐ上がっているのだった。のびしろ一番!(長年ブランドランキング全国最下位が続いたあとの地元のキャッチコピー。今は少しランクが上がった!やったね!)である!

 あの6畳一間の日の当たりすぎて時にはビニールハウスのようであったひとり暮らしの、卒論がまるで書けなかった時の絶望、日当たりは良いのに、昼夜逆転し続けて何日も光を拝めなかった頃の病み具合を思えば、今は人間的な生活ができている。本当に幸せなのである。


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