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璦憑姫と渦蛇辜 10章「凪女」③

 それからタマヨリの屋敷での暮らしが始まった。
屋敷といっても家の中には入れてもらえず、岬から海に続く階段から枝分かれした道の岩の窪みが寝床となった。
足を踏み入れると船虫が逃げ出してくる。すぐそばで波が砕ける音がする。時化しけでもきたら波に飲まれそうなその場所は、岩石島の海賊たちの棲家を思い出させた。
   横になり石の天井を見ながら、タマヨリはひとつの考えに至った。
ーつまりこうだ。人魚の兄弟からしたら、おれはいちばん下っ端だ。何の働きもない。海賊だって下っ端は顎で使われるし、寝床だって悪い場所だ。それに人魚は元来悪戯好きで悪さを好む。初めのうちはあんなもんだ。

 問題は母親だった。
ひと目会えた喜びは束の間、今度は言葉を交わしたいと思うようになった。
しかし何日経っても会ってはくれない。
兄弟達は母親の居室への出入を許されているのに、自分は屋敷に立ち入るだけで彼らから嫌がらせを受ける。
「母上殿はお前が嫌いだ」と何度も云われるが、それが本当に母の言葉なのか彼らの言い草なのか分からない。
日に一度、食べ物を届けにくる凪女なぎめに聞けば、「お母上は心の準備をしていらっしゃるのですよ。じきに会えますから」と返される。

 それでも気持ちの速るタマヨリは、半ば強引に凪女の手伝いをするようになった。この屋敷で何かできることが増えれば、兄弟達の扱いも変わるだろう。何より母親が気にとめてくれるかも知れない
 凪女から用事をいいつかっては片付ける。そうするうちに、凪女から行儀作法を覚えてはどうかと提案された。
「姫さまの元気の良さに、お母上は少し戸惑っているのかも知れませんよ」
そして話し言葉から挨拶の仕方、立ち居振る舞いまで凪女に習う日々となった。 
その合間に、親に会ったら話すつもりでいた島でのこと、篦藻岩菟道ノモイトッドまでの旅のことを思いつくまま凪女に話した。どんな話でも彼女は静かに耳を傾けてくれた。
「いつか乙様に話して下さいまし」と笑って。



 相変わらず兄弟達からは意地悪ばかりの日々だったが、タマヨリには友ができた。
寝床にしている岩場からぐるりと岬を回った場所に、やはり同じような岩穴があった。穴は柵で塞がれ、つまり牢獄のような作りだった。中にいたのはタマヨリよりも少し歳の大きい娘だった。
娘はヒツルといった。
半月も前に篦藻岩ノモイの港街から攫われてきたと云う。来たばかりの頃は牢に3、4人の娘がいたが、ひとり減りふたり減り、今は自分だけになった。娘盛りのその顔は悲しみで青ざめ、目は落ち窪んでしまっていた。
タマヨリは仕事のない時を見計らい、毎日ヒツルの元を訪れた。助け出そうにも牢はタマヨリひとりに壊せるような作りではなかった。
「大丈夫、凪に頼んだらなんとかなるかも知れない」
「お願いね。タマヨリ、きっと戻ってくるのよ、必ずよ」
久しぶりに人と会えたのに置いて行かれるのが心細かったのだろう。ヒツルはタマヨリを何度も引き留めた。
「心配するな。これ、預けておくから戻ってくるさぁ」
タマヨリはどんぐりを下げた首飾りを渡した。ヒツルはそれを手に取りじっと見ると、
「こういうの……妹によく作ってあげたの、一緒にどんぐりを拾って」
と云った。
「それをくれたのも妹みたいな子だよ。盧藻岩のアビってやつだ」
「アビ?」
「ああ背はこれくらいで甘えん坊でさ、アビはおれのそー」
「それ!」
とヒツルはその日いちばんの大きな声を出した。
「わたしの妹よ!」

 ヒツルは肥鵙ひもず津留女つるめのいなくなった娘だったのだ。タマヨリは肥鵙の家で世話になったいきさつを話し、これは何が何でも還してやらねばならないと心に決めた。
屋敷に駆け戻って凪女を探したが見つからない。
普段なら入ることのない彼女の居室まで覗いた。母親のところだろうか。奥の間はタマヨリが入ることを禁じられている。
出直そうとその場を立ち去りかけて、ほとんど何もない部屋の片隅に見慣れたものが目にとまった。
「おれの短刀だ! 」
持ち上げればすっぽり手に収まる。
山で鮟鱇あんこうの化け物を刺した時、刺さったまま化け物に持って行かれてしまったものだ。
「どうしてここに……?」
海に戻った鮟鱇が落としたか捨てたのを、凪女が拾ったのかも知れない。
「おれのだなんて凪は知らないものな。後で返してもらおう」

 凪女を見つけられぬまま、とりあえず柵を打ち壊すつもりで硬い石を握りしめて戻った。
「ヒツル!戻ったぞ」
声をかけたが返事はなく、穴の中はもぬけの空だ。海の方を見れば小舟が一艘浮かんでいる。流木の面の男が櫂をとり、そこにヒツルも乗っていた。船は岬を屋敷の方へ向けて進んでいく。
面の男はあの時と同じ従者だろうが、厭な予感がタマヨリの全身を駆けた。ヒツルの目が悲嘆に暮れていたのだ。
そのまま、タマヨリは崖の上から海へと飛び込んだ。泳げば早い。あっとも言わない間に小舟の縁をつかんだ。
「お前、ヒツルをどこへ連れていくんじゃ」
驚くヒツルに対して面の従者は全く動じていない。ただ無言で船を操る。沈黙は不気味だった。
「なあ」
「タマヨリ、こいつが連れて行った他の娘たちは帰って来なかったの」
「じゃあ、こいつが人攫いか」
タマヨリは近づいて面を引っぺがした。
そうされても一言も物言わず、同じように櫓を操る。
驚いたのは二人の方だった。面を外した顔は、鼻も口もなく目は左右に離れ、ほおっかむりの下で赤茶色の皮膚はぶよぶよとして、それはまるっきり蛸だったのだ。

 ヒツルは言葉をなくし後ずさった。タマヨリも舳先まで下がると海を見渡した。
「ヒツル泳げるか?」
「少しは。でもこんな沖で泳いだことないよ」
「蛸が追って来たらおれがなんとかするから、お前はとにかく港を目指せ」
「どうやって? 」
「亀がおる。そいつに頼んでやるから、背中につかまっていけ」
「亀? 」
「おっきい奴がおる。あとな、おじさんとアビにもよろしく、津留女にはお母さに会えたと伝えて欲しい」
矢継ぎ早に云われてヒツルはうなづくだけだったが、
「そら行け!」
といわれ海面をみれば海亀が一匹いる。
「タマヨリはどうするの?」
「さっき見たじゃろ。泳ぐのは大の得意だ、何とかなる」
ヒツルが恐る恐る亀の背に手をかけると、すべて承知とばかりに海亀は泳ぎ始めた。

「よし」
タマヨリは蛸と向かい合った。
「これは凪も知っていることか?そもそもお前は肥鵙の家を襲ったやつの仲間か? 」
蛸は答えないがヒツルが逃げたのを察し、もぞもぞと海へ入ろうとした。
そこへ着物の中にしまっておいた石を蛸の頭めがけて投げつけた。蛸は気を失って動かなくなったが、しばらくすると起き上がろうとする。体に力が入らないのか、立ち上がろうとしてぐにゃりと崩れる。
「蛸ちゅうのは、素早いうえに力が強い。よって厄介じゃ」
取り上げた櫓で起き上がれないように突きまわし、ヒツルを乗せた亀が見えなくなったところで海に飛び込んだ。
ー後は逃げるに限る!
そうして泳ぎきって陸へ戻ったその日のこと、乙姫がタマヨリを呼びつけたのだった。




10章おわり

11章へつづく


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