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「あくび」から「一目惚れ」(小説3)

平日の朝、つり革をつかみ電車に揺られながら大きなあくびをした。

それにつられてか、隣の人も大きなあくびをした。それを見てまたあくびをしそうになる。

良く言えば、ほのぼのした朝。悪く言えば、何の変化もない退屈な朝。

なにか面白いことが起きないかなとぼんやり思っているが、「じゃあどんなことが起きて欲しい?」なんて聞かれるとすぐには答えられない。

とりあえず外を眺めて何か面白いことが起きていないか確認するが、そんな都合よく自分の欲求を満たしてくれることが起きるはずもない。

目線を電車の中に戻す。目の前の座っている人が大きなあくびをした。自分のあくびが巡り巡ってこの人まで回ってきたのだろうか。だとしたら次はどの人があくびをするのか。

そんなことを考えながらあたりを見回してみる。今日はやけに電車の中が見渡しやすいなと思うと同時に、あることに気づく。子供が多い。

いや、いつも電車に乗ったら基本的にはスマホに集中しているため、いつも子供がどれくらい乗っているのかなんて知らない。

そのため、「この電車は子供が多い」の事実は判然としないが、少なくとも僕は子供が多いと感じた。

カラーバス効果かもしれない。自分が意識していることに関する情報を取得しやすくなるというあれだ。電車の中をぼーっと眺めるのではなく、どんな人が周りにいるのか意識したため、今日僕は子供が多いという結論を出すことができた。

ならばどうだろう、もう少し別のことに意識を向けてみよう。そうすれば、自分が今まで気づいていなかったことに気づけるかもしれない。

そう思った僕は、まず手始めに人の顔に意識を向けることに決めた。自分の場所から見える範囲の人の顔を1人ずつ観察していく。

ある人は顔に大きな傷があったり、ある人は化粧が濃かったり、ある人は自分に少し似ていたりなど改めて見ると色々な人がいることに気付く。

そうして、観察を続けている内に知った顔を見た。同期の吉田だ。「最近引っ越したとは聞いていたが、同じ路線なのか。」と少し嬉しくなり、ばれないように吉田の元へ近づく。

スマホに集中している吉田に向かって、「おはよう」と声を掛ける。吉田は「おお」と少し驚きイヤホンを外しながら「あれ、お前もこの路線なんだっけ?知らなかったよ」とにやにやしながら答える。

その後、しばらく他愛のない話をした後に、引っ越しの理由を聞いた。どうやら吉田は恋人と同棲を始めるために引っ越したらしかった。

「何だよ、同じ路線の仲間が増えてちょっと嬉しかったけど、それ聞いてなんかどうでもよくなったな。」

「そんなこと言うなよ、お前も恋人ができればわかるって」と吉田は訳のわからないことを言っている。

そんな吉田の手提げバッグの中には、四角い何かを包んだ可愛らしいペイズリー柄のバンダナが見えた。触れたら負けだと思い話を適当に反らす。

「吉田はいつも何時間くらい寝てるんだ?」

「なんだその質問、そんなこと聞いてどうするんだよ。」

「今日の朝はよくあくびが出るから睡眠時間足りなかったのかなと思って。参考に聞きたいんだよ。」

「まぁよくわかんねーけど、大体6時間くらいじゃねーかな。それとあくびって寝不足だから出る場合もあるけど、緊張とかでも出るらしいぞ。」

「へぇーそうなのか、じゃあ俺は知らずに何かに緊張してるのかもな。」

「その可能性はあるな、試してみろよ。」

「は?何を試すんだよ。」

「もし、緊張のせいであくびが出るなら、この電車の中に緊張の種があるはずだろ。だから電車の中を彷徨うんだよ。そしてあくびが出たらその近くに緊張の種があるってことだな。」

「ダウジングマシンみたいなことなのか?馬鹿か、誰がそんなガバガバの理論を信じるんだよ。」

「うるせーな、とりあえずやってみろよ。それともあれか、俺の今日のお弁当の話聞きたいか?」

「あーはいはい、わかったわかった。」

僕はとりあえず吉田に言われたとおり、電車の中を彷徨うことを決めた。端から見れば明らかにおかしいやつだと認識されるだろうが、吉田のお弁当の話を聞くよりはマシだと思った。

電車の中をなるべく自然を装って移動する。人と人の間を横向きになり通り抜ける。うまく通り抜けられると思ったが、リュックを背負っていることを忘れていた。僕の背中のリュックが人を押し出す。

しまったと思い、すぐに向き直り「すみません」と会釈をする。相手の人は「いえ」と優しく会釈を返してくれる。そのときの顔、仕草、雰囲気に僕は何か特別なものを感じずにはいられなかった。

一目惚れだった。何でも良いから話したいと思うが、何を話すべきかもわからない。どうしたら良いのかとあたふたしている僕を、その人は不思議そうに見つめてくる。

どうにかしないと。焦れば焦るほど、どうして良いかわからず時間が無残に流れていくことを強く感じる。

「あの」となんとか出した声は、電車の扉が開く音で消される。その人はこちらを振り返ることなく電車を降りる。

いつの間か肩に力が入り、鼓動が速くなっていた。とりあえず吉田の元へ戻ろう。

戻った先に吉田はいない。あたりを見渡すと近くのシートに座り目を瞑っている吉田を見つけた。吉田はこういうやつだ。

次の日、僕は同じ時間の同じ車両に乗った。例のあの人を見つけるためだ。電車に乗るなりあたりを見渡した、しかしその人は見つからなかった。その次の日も、その次の日もその人は見つからなかった。

そうして半年が経過した頃、僕は電車の中ではスマホに集中することが習慣となっていた。つり革に捕まりながら動画を見ていると、隣に良いにおいの人が並んできた。

少し顔を上げて横目でその人を見る。

あくびが止まらない、きっと寝不足のせいだ。

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