見出し画像

017 悲劇のヒロインにはなりたくない。

悲劇のヒロインにはなりたくない。

座右の銘とでも言いますか、
私の考え方の軸にある
一番がこれです。

いつだって、
悲劇のヒロインにはなりたくない。

悲観的になって、バッドエンドで終わり、
得られるのは同情だけ。
一度きりの人生、そんなの絶対に嫌だ。
いつだって、前向きに生きていきたい。
そういうお話です。

背景のお話から・・・

私を構成している
最も大きな要素として
母が車椅子ということがあります。

私をお腹の中に抱えたまま
交通事故に遭い、首から下が麻痺。

私は母が歩いている姿を見たことが
一度もありません。

加えて、妊娠中の事故ということで
手術を先延ばしにしてしまい、
2年間のリハビリ入院。

2歳になるまで、父と祖父母と
4人家族での生活でした。

2歳の頃の記憶は
もうあまり残っていませんが、
一緒に生活していなかった母を
友達のように認識していて、
母に対して他人のように
偉そうに接した記憶だけは
断片的ですが鮮明に残っています。

それでもまだ幼い2歳までのお話。

自分の置かれている環境が
いわゆる普通と違うことにも
全く気が付いていませんでした。

それから幼稚園に通いだして、
やっと周りとの差を実感しました。

3歳の頃、外で遊んでいて
派手にこけて派手に擦りむいて、
どうしようもなく痛くて泣いても
大丈夫?ごめんね。頑張って、と
声をかけてくれるだけの母。

当時の私は、どれだけ辛くても
一人で立ち上がらなければいけない。
手を貸してくれる人がいない。
ということに現実の厳しさ残酷さを
幼いながら感じました。

それからも、みんなはお母さんと一緒。
そういう場面で、私だけ一人。
そんなことが少なからずありました。

母に代わって祖父母が傍にいて、
休みの日には必ず父がいて、
寂しさは感じませんでしたが、
それでもやっぱり、なんで私だけ。
そう思うことはありました。

長々と書いてしまいましたが、
人生で一番初めに感じた不公平さ。
と言いますか、、
そんな感じです。

次に小学生になって、
私は程度でみると軽いですが
いじめられていました。

悪い噂も沢山流されて、
何もしていないことで先生に
呼び出されて怒られて。

ここでも理不尽さを感じていました。

学校でのストレスを抱えて帰って、
家で母の手伝いをしていた時、
ちょうど母が体調を崩していて、
いつも些細なことでも何かしたら
優しく、ありがとう。と言ってくれる。
そんな母から感謝の言葉が無かった。

たったの一度だけですが、
精神的に張り詰めていた私の何かが壊れ、
感情のぶつける先が分からなくなり
何も悪くない母にあたりました。

その時母に言われた言葉がこれ。

悲劇のヒロインぶるな。
自分だけが辛いと思うな。

言われた瞬間は、しんどい思いして
一生懸命頑張ってるのに
なんでそんなこと言われるの。と
そう思っていました。
私ばっかり。と思っていた私には
裏切られた感覚で、衝撃的でした。

だけど、よく考えてみたら、
すごく真理をついている気がして。

比べるものではないですが、
私の辛さなんて、世界を見渡せば小さい。

悲観的になって周りが見えなくなって
思いやりを持てない人間になる。
そんなことは避けたい。

悲劇にはバッドエンドが付き物だけど、
私はバッドエンドを望んでいない。

可哀想な主人公は同情こそ得られても、
幸せは寄ってこない。

その通りです。
ああ、なるほどなと。

それからというもの、
私からこの考えが消えたことはありません。

辛い時、苦しい時、
バランスを保つために愚痴っても
不幸自慢はしたくない。

私の人生、私が主役というなら、
喜劇のヒロインでありたい。

そう考えるようになってから、
人との付き合い方だったり、
何か物事に対しての受け止め方だったり、
あらゆる局面での考え方が
少しずつ変わったように思います。

私の軸のお話。
プロフィール的な意味を込めて。

これまた長くなりましたが、
この辺で。



この記事が参加している募集

自己紹介

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?