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これだけ世の中酷ければ、世界一幸せなのは俺なのかもしれない。

    • いやぁ。今更ながら大人は汚ぇよな…と思ってますよ。

      • ごめんなさい

        • 過激でありたくなければ、中道等という不安定な思想に凝らずに、あらゆる思想の中で最も穏健で、自らの責任を伴わない選択をすれば良い。 そして無関心でいることだ。

        これだけ世の中酷ければ、世界一幸せなのは俺なのかもしれない。

        • いやぁ。今更ながら大人は汚ぇよな…と思ってますよ。

        • ごめんなさい

        • 過激でありたくなければ、中道等という不安定な思想に凝らずに、あらゆる思想の中で最も穏健で、自らの責任を伴わない選択をすれば良い。 そして無関心でいることだ。

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          8本

        記事

          みんな泣いてるよ。俺もお前も

          みんな泣いてるよ。俺もお前も

          今日の天気は僕の心の中みたいだ

          今日の天気は僕の心の中みたいだ

          メンバーが信じられないのはそれはお前自身の弱さだよ。

          メンバーが信じられないのはそれはお前自身の弱さだよ。

          音楽はあまりに曖昧だ。音楽を音楽たらしめるには、私を含めた人間の視点が必要不可欠である。

          音楽はあまりに曖昧だ。音楽を音楽たらしめるには、私を含めた人間の視点が必要不可欠である。

          私が音楽をやる衝動について

           最近、私はバンドを始めた。もともとバンドマンを公言していたが、ここにきてようやく始まった。そして音楽との距離感をより近く感じられるようになった。こうなってくると、自分のうちにある音楽とそれを取り巻く世界観や考えを共有するために、一度それを書き起こさなければならない。この衝動はぜひ作品に活かしたいところだが、私はまず文章に起こしてみようと思う。 まず、私がさまざまな芸術表現の中で音楽を選択したのは、音楽が「現実に最もよく触れることが出来るから」である。音楽と他の芸術を見比べ

          私が音楽をやる衝動について

          究極的には、ある一人の著作は一つに連なる。その者が世界に表出させた言葉を纏いながら。

          究極的には、ある一人の著作は一つに連なる。その者が世界に表出させた言葉を纏いながら。

          戻れない過去に縋るのが、保守の思想かね?堅守すべきは今であろう。過去を超えてきた今であろうよ。今を忘れれば過去は必ず廃れる。過去の年表を書くのは今であり未来だ。書かれているのは命絶れた今なのだ。先人は今を大事に受け継いだのでは無いのか?我々が先人に習うのは今を守ることだろう。

          戻れない過去に縋るのが、保守の思想かね?堅守すべきは今であろう。過去を超えてきた今であろうよ。今を忘れれば過去は必ず廃れる。過去の年表を書くのは今であり未来だ。書かれているのは命絶れた今なのだ。先人は今を大事に受け継いだのでは無いのか?我々が先人に習うのは今を守ることだろう。

          ラウドとノイズ

          1章:ラウドの侵略これは最近得た考えではあるが、含蓄に富むし、何より私達のバンドの為にもここで一度表明しておきたい。「ラウド」と「ノイズ」。この二つはよく混同されがちな概念である。これは「ラウド」な音楽(私はあえてロックに絞って話を進める)に親しみを感じている者には少しわかりにくいかもしれない。ラウドとはその名の通り大きな音である。彼らは9Vと18V を気にする。何層にも積み上げられたアンプ。その荘厳さは時に宗教にも例えられる。ラウドは正にその巨大さでノイズの概念すら包括し、

          ラウドとノイズ

          中道の問題点

          中道(あるいは中庸)の問題点というのは、そこにある事が難しいという事をちゃんと理解していない人間に限ってこの言葉を乱用する事にあると今は思う。中道(1)のあるべき姿というのは「揺れている」という事と「定まっている」という事が時間の流れとともに変容し、それでいて一定の流れを保つような、言い換えれば「それであってそれでない」という空間を時間の経過とともに変容できる姿と言っても良い。我々は過激な思想やそれに類推する事象を目にするたびに「中庸でいよう」と感化される。しかし、それはそれ

          中道の問題点

          足を奪われた亡霊

          これは物語ではなく一種のプロバガンダである。我々の向かうあらゆる絶望の中で蠢く蟲達の愚かな最後である。檻に入り、2年がたった死刑囚の陰惨たる最後である。 我々は随分長く生きてきた。大地を蝕み、その糞尿で文明を築いてきた。しかし、この広大な大地をついに離れる。その残虐な剕刑は我々を空虚な真空の海へと浸す。空に上がって浸されるこの物理法則を無視した運動は、思想の非物理性に由来する。我々は遠く離れた大地に向かう訳でもなく(つまり合目的性を持たない)この長い旅路をゆかねばならぬ。莫大

          足を奪われた亡霊

          社会変革への私見

          この記事は僕のツイートhttps://twitter.com/Nerohydra/status/1445269685939834890?s=20に至るなんとなくの私見をまとめたものです。 私の祖母は(今の価値観で見たとき)まるで哀れな環境で育っているため、そこで形成された女性蔑視の思想の下で生きている。僕が中学生のころに、覚えたての歴史を雄弁に語っていたら「私は女だからそんな難しいことわからないわ」と言っていたのが耳に残っている。また子育てと仕事の両立の件で母と度々揉めてい

          社会変革への私見

          Fラン大学生が一から現象学を学んでみた~これが現象学だ①~

           今回から谷徹『これが現象学だ』を読み、学んだ部分を少しずつ書き出してみます。とりあえず序章と一章まで読みました。全体の感想としては、現象学が如何に誕生したのか、その背景とフッサールの姿勢を知れてよかったです。早速ですが、内容について重要な部分に触れながら話していきたいと思います。 序章:序章の主要なテーマは「なぜフッサールが現象学の成立を目指したのか」と「フッサールの現象学に対する姿勢」という部分ではないかと思います。彼は当時、学問全体が危機に瀕していた事を非常に憂慮して

          Fラン大学生が一から現象学を学んでみた~これが現象学だ①~