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少しでも毒が薄い、あるいは解毒できる親になるための振り返り

※この毎日投稿は、Stand.fmの音声投稿をふりかえりながら、補足や一歩踏み込んだ内容を書いています。

今日は、「子どものマスクが外せない問題」を話してみた。

答えはない。雑感である。

親が半生をかけて作り上げてきた信念めいた生き方と、子どもを含む新世代の主張をどう折り合いをつけるのかという内容だ。

明確な正義、すなわち「これを言っておけば安全」という模範解答がない話題は、匿名性のない顔の見えるコミュニケーションでは、なかなか行われにくい。

もちろんないわけではないが、あったらあったで、その輪の中でもっとも力のある人の一方的に主張した意見が、「その輪(場)」の正義となって力関係を確認するだけのコミュニケーションになりがちではないだろうか。

模範解答がない話題は、力関係がある場では、力がある立場の意見が、自動的に「正義」として力を受ける立場の人間に学習されてしまう。

親の信念との折り合いの関係の難しさもまさにそう。

親は自分の信念に反するが親のサポートなしには実現できない行動を、子どもの意思を尊重してやむを得ず助けることがある。

そういうとき、何でも子どもの意思に従うのが当たり前になっては、親は子どもにとっては道具になってしまい、いざ子どもが親に従ってはじめて親が責任を果たせるような火事場にあるとき、親がその機能を果たせなくなってしまう。

だから、親としては信念に反するもやむを得ず子どもの意見を飲むとき、せめて「一人の人間として」信念を明らかにした上で、親は人格を持たない道具ではないことを示したいと、思う。

けれども、力のあるものの「意見」は、力を受けるものには「正義」として学習されてしまう、可能性がある。

一人の人間としての、「一意見」としては処理されない。処理されたとしても、反対することができない。その可能性が非常に高いことは、力のあるボスママの前で頷くことしかできないママの輪に一度でも居合わせてしまった人、上司の意見に感想を求められたときに、ハンコを押すような賞賛しかできなかった経験がある人なら、イメージできると思う。

「対等」な関係なんて、言葉で言うのは僅かな文字数でも、大人の世界だって、ほとんど実現している場が、ないのだ。

誰かの意見を、単なる一意見として自分の意見と並べて対等に扱う。

そんな難題を、わたしは子どもに吹っかけたい、そう思っているのである。
社長が新入社員に「個人的な意見」を、フラットな意見の一つとして受け止めることが困難なら、親子でなんて当然無理な話のはずだ。

でも、大人と子ども、上司と部下の関係においては、これが無自覚な「相手の自由意志を尊重する善意」と「自分を偽らないある種の道徳心」というポジティブな動機の掛け合わせで発生してしまう。

相手と自分のことを両方考えて、ベストな道を選んだ結果、最悪の行動をしてしまう。善意の盲目性が導く、悲劇だ。

これを回避するには、前者を削って命令にして、反発される敵役になるか、後者を削って道具的な存在になるか、のどちらかの決断を迫られる。

正直、一番楽なのは後者だから忙しいときはだいたいこれで、ちょっとまともな気分だと善意の脅迫をやってしまい、内容によっては自分の信念が譲れずに敵役になっている、と自分自身に対しては思う。

多分、人より最悪な行動をしがちな上、ひとりの人間のなかでも、全く一定していない。

「親の一貫しない態度は、子どもを混乱させる」

これは、多くの育児本で指摘されている主張のひとつだ。

ある程度は納得できるけど、混乱なき成熟はないし「不可能も言うだけならタダだな」と、もろ手で賛同できなかった主張のひとつでもある。

親だって、生きている。気分もあれば、子どもから学べばこそ、考え方も変わり、態度も変わる。

それで混乱するなら、誠に申し訳ないけれど、混乱してもらうほかない。

今の子どもたちは、マスクをつけろと言われたり、今度は外せと言われたり、時に自由意志を装った脅迫を受けたり、何でも言うこと聞いてくれたりして、親の世代以上に混乱させられる子ども時代を送っていると思う。

とくに気分屋で混乱させ度が高い親の一人として、そこは頭を下げて謝りたい。

本当に、申し訳ござません。ごめんなさい…!!

でも。

混乱ほど人を考えさせ、成熟させるものもないと思うのだ。

大人はしくじったかもしれないけど、しくじられたことによって、今の子どもたちは、その親の軽率さを分析できるほど賢く、

親の「毒」を制し、「薬」とできるほどたくましい大人になる。

だから、今の子どもたちは、大丈夫だ。最高の、素晴らしい未来を自分たちの手で作り出すだろう。

と、「大人に必要なのは、子どもを信じること」という、これも言うのは簡単だなと思いつつも、まだ不可能だとは諦めていない子育ての有名な主張のひとつを、信じて実行してみようと思う。

いつにも増して、自分の懺悔と自戒のための投稿。

答えは出ないけど、子どもに悪影響を与えない行動をする って本当に難しい。

毒にならない親になるより、毒もあるけど解毒もできる親になる方が、まだ実現可能性は、あるかもしれないなあ〜。


自分の書く文章をきっかけに、あらゆる物や事と交換できる道具が動くのって、なんでこんなに感動するのだろう。その数字より、そのこと自体に、心が震えます。