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中年期の「ありのままを生きる」

突然大災害や事故に見舞われる人がいる。

それで全てをつぎ込んできた夢を失う人もいるし、その先の未来で、だからこそできることを見出す人もいる。

でも、それで命をのものを失う人もいるし、間一髪で自己を逃れて夢を叶える人もいる。

そこに、因果応報のような力は感じられない。

そこには、クリックベイトなタイトルが語るような「夢を叶えた人に共通する驚きの秘訣」のようなものもない。

個人より大きな力の渦のなかで、わたしたちは泳いでいるのだと感じる。





自己受容とか、自分を認めるとか、ありのままでいいとか、
わたしらしく生きるとか、

いろんなキーワードがあるけれど、これらのからまった根っこをじっとみると、

こういうわけわからない世界を生きる苦しみがあるように思う。

40年くらい生きていると、不思議と逃れた重大事故や、大病を機に生まれ変わった経験もできて、

偶然に思えたことが、後から振り返ると星座のように点と点が結びついて、過去の不幸にも輝かしい意味が与えられるようになる。

そんなスティーブ・ジョブス現象は中年の楽しみでもあるけれど、それって実は今の自分をそれなりに納得して生きている人だけの「特権」なのかもしれない。

自分を受け入れるとか認めるための活動はいろいろある。

瞑想をするとか、自分の得意を見つけるとか、感謝できることを数えるとか。

でも、その根っこに「わけわからない世界」のぬかるみ具合を見ると、そのわけわからない世界から受けた傷や事件と今の自分、そして空の星とつなぐことで、

過去に未来につながる意味を与えられるように感じている。

感じているだけで根拠なんて何にもないけど、こういう過去があって、今の自分が、すてきな未来へ向かう過程にあるんだと思えると、今の自分にどこか納得感を持てるような気がするのだ。

まだ半分も人生が残っている段階では、過去だけをみつめて「わたしはこれでいい」なんて思えたとしても、その後の人生を持て余してしまう。

こんな過去があったから、今、こんな状態になっている。

でもそれは、あの未来に行く道すがら必要で起きているのだと思えたら、

今がどんなドロドロの状態だったとしても、なるほどね、と納得できる。

子育て、親の介護、働き盛り、更年期。

中年をありのままで生きるは、ドロドロであたりまえだ。

続々と台風が来る時期なのに、束の間の台風の目を「ありのままを受け入れて楽になった」と勘違いしたり、たまたま台風が外れたことを自己受容の結果という思い違いはしたくない。

中年の自己受容は、納得して生きること。

納得して生きることで、嵐から逃れることはできないけど、嵐に耐えることはできる。

そう納得して、今日も青空の下、心の嵐に備える。

自分の書く文章をきっかけに、あらゆる物や事と交換できる道具が動くのって、なんでこんなに感動するのだろう。その数字より、そのこと自体に、心が震えます。