10回目 お金の話

お金の話です。

祖父の貰っていたのは年金

家業の支払いに来る祖父より5歳年上のお客さんが貰っていたのは恩給。

そのお客さんは普通の金額より少し多くお金を置いていった。普通の料金でいいですよと親や祖母が言うと、良く言っていたのは

「恩給貰ってるから取ってくれよ。」

恩給っ何?って祖母に聞くと「お金が多く貰えるって事だよ」っと説明された。

ふ〜んそうなんだ!でも何で祖父は貰えないんだろう?もらえてば欲しいおもちゃやラジコン買って貰えるにな〜って小学生の頃は思ってた。

中学生の頃にはその恩給と言う意味を理解してた。軍人恩給なのだ。

戦争に行き、それなりのポジションで長く勤務した証だ。

祖父も戦争を体験しているが、曽祖父が早くに亡くなった家の末っ子で、跡取りだったから最後の頃に召集されて銃剣の訓練と芋を育てていただけで人を殺す事は無かった。その銃剣と芋の話を聞いたキッカケが恩給だった。

そのお客さんは確か通信兵を戦地でしていたはずだ。

支払いに来る度に恩給を貰ってるという話はするけど、戦地の内容までは話さなかったし「今度支払いに来る時に聞いてみるか」と思った時の支払いには息子さんが来た。なぜなら、病気で入院してた。

そしてそのまま天国へ。

恩給を貰えない祖父をちょっと劣ってる感じに思って、そのお客さんが勝ってる様に思えた小学生の自分は、中学生になり恩給を貰えない祖父で良かったと思える様になる。

人を殺さないで済んだ事。戦地で死なずに済んだ事。などなど。

祖父と祖母が出会うのは戦後直ぐだ。もし、戦地で祖父が死んでいたら自分自身が存在しない訳だ。その事が戦争を自分で調べて行く半分のキッカケになった。残り半分は小さい時から好きだった航空機だ。そっちはいつか暇な時にでもまとめるかもしれない。

小学生の頃はネットなんか無いから学校や町の図書館通った。

話を祖父の事に戻す。

住んでいた場所も良かったのかもしれない。祖父と同じ歳で住む場所が戦場になる人は沢山居たはずだし。自ら戦地に行く人も沢山居たはずだ。

恩給を貰っていると言ってたお客さんはその事を自慢しているように見えた事も有ったから、どんな戦場に居たのか?って戦争反対と言う気持ちからお客さんを否定的な感覚の上で聞いてみるかと思った矢先、聞けなくなる。

その自慢気な態度は、あの時代、自ら進んで戦争に参加する事がいい事だった訳で。そこで任務を果たして帰ってきたと言う事実。戦後の軍人への批判。もしかしたら戦地で仲間を助けたという自負等のいろんな、きっと、その人にしか分からない事が沢山有ったのかなと今になって思う。

その恩給を話してくれた事で戦争を同年代より知る様になったからそのお客さんには感謝している。後に認知症になる祖父は銃剣と芋の話をベースに細かい事を聞くとその時だけ普通に戻り、普通に会話をするが出来た。

だから「あ、じいちゃん生きてるんだなぁ」と思えた

いや生きてるんだけど、認知症は…ね。

その恩給の話が無ければ知らなかった祖父の話が、祖父の最後の頃の「普通の会話」をするキッカケになるなんて思いもしなかった。

そう言う意味でもそのお客さんには感謝してる。

始めに書いた通りこれはお金の話です。

あの戦争はどれだけのお金を使ったんでしょうか?軍事費とかの話では無いです。

交通死亡事故での被害者が若年であり将来の増収が見込まれていた点を考慮して支払われる保険金が増えると言う事などを特攻隊員や空襲の被害者に当てはめたて全ての国民に国が支払ったとしたら…。

あの戦争でどれだけのお金を使ったんでしょうか

その代償で得た物を今の社会は活かせてると胸を張って言えるのか

私には分からない

ETV特集 「“焼き場に立つ少年”をさがして」の再放送を見てふとまとめてみる気になったもので