しごと⑧目標もないのに転職に逃げる
<就職氷河期当時の状況>
就職氷河期の1999年に消費者金融業界に就職した私はまだ恵まれていたほうだと思います。大学の同級生は就職先が決まらず、あえて留年を選んだり、アルバイトで当面の生計を建てるなどの選択をする人もいました。
当時就職が出来なかった同級生はその後、長い間仕事に悩むことになりました。アルバイトを長期で続けることになったり、正社員で就職しても給料が少なく、生活が苦しく将来に望みが持てない状況が続きました。
そのような長期的な経済低迷期に新卒で就職が出来、2年弱でしたが仕事を続けられて、お金に係るリアルな経験をしたことが、その後のお金に対する自分のマインドに大きな影響を与えているように思います。
<転職活動>
次の転職先を決めずに仕事を辞めてしまった当時の私ですが、それほど焦りはありませんでした。実家暮らしであったこと、当面の貯金があったこと、まだ若かったことなどで何とかなると思っていました。
2000年の12月に退職した私は、翌2001年の1月から情報収集を始めたのでした。このあたりの時期になると、世の中ではインターネットが普及しだしており、求人サイトに加えて求人情報誌を利用していました。同じ金融業界には戻りたくないとだけは思っていた私ですが、それでは「自分は何をしたいか」という大きな問題にぶつかることになります。
新卒の就職活動で自己分析が甘々だった私はこの問題に対して真剣に考え、答えを出していなかったと思います。なんとなく自分の性格が金融に向いているのではないかという感覚から、自己分析と志望動機を作り上げてしまっていたように思います。
そのように自己分析を継続しながら、転職活動をする中で転職エージェントというサービスがあることを知り、エージェントへも依頼することにして、面談を行ったのでした。
そこで、その転職エージェントから「人材業界はどうか?」「うちの会社はどうか?」と勧められて、私は面接を受けてみることにしました。そして結果は内定をもらい入社を決めました。その時の私はもちろん中途の即戦力という扱いではなく、第2新卒の扱いで2000年入社のちょうど私の1つ下世代と同じ入社の扱いでした。
その会社は、資格教育事業が祖業で人材派遣や転職サービスなど人材系サービスを展開しているHグループの中の人材派遣会社でした。
当時、消費者金融業界も絶好調でしたが、人材派遣業も規制緩和や働き方の多様性、女性の社会進出などの流れにあり成長業界にあり、人手不足の状況でした。そのタイミングで大量採用の中の一人として採用されたのでした。
それほど苦労することなく転職活動を行い内定をもらい入社したわけですが、私はこの会社をわずか1か月で試用期間中に辞めることになります。
つづく