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業界考①消費者金融

社会人人生の中で何度かの異業種転職やその企業で深く関わってきた業界に対して自分なりの考えをまとめてみたいと思いました。

はじめは新卒入社で就職した会社である消費者金融業界について書きたいと思います。

入社当時の業界

私が入社したのは1999年でした。その数年前から消費者金融の企業がTVCMを多く流していたということもあって、学生でもわりと名前の知れた企業がいくつかありました。武富士はレオタードの女性が躍るという独特なCMでしたが、アコム、アイフルは女性芸能人を使ったCMで親しみやすいイメージを作ろうとしていたように思います。私の就職先であったN社も業績好調ということもあってTVCMを流していました。

CMキャラクターは、最初はVシネマのミナミの帝王でおなじみ竹内力さん、後にホイットニーヒューストンという世界的に有名な女性歌手を起用するというなかなかインパクトのある人選だったなと思います。

この当時、消費者金融業界は、1980年代のクレサラ問題で受けたイメージダウンの影響を何とかして払しょくしようとしていたのだろうと思います。

業界分類

消費者金融はその名の通り、金融分類の業界ですが、銀行や生損保ではないため、ノンバンクとも呼ばれています。ノンバンクには消費者金融のほかに、事業者金融やクレジット会社も含まれます。銀行とノンバンクはともに貸付融資を行いますが、その役割や対象が大きく違います。

銀行は、企業や個人から集めた預金を企業の事業資金や、個人の住宅購入資金などの目的にために融資を行います。預金口座に集めた資金を融資に回すのですから、利息は低くなります。
一方でノンバンクは、銀行から借りたお金を貸すのです。消費者金融の高金利が問題になった時期がありましたが、銀行から数%で借りたお金を貸すわけですから、銀行の融資よりも金利が高くなるのは当然です。

給与待遇

給与待遇について、給与水準は高めだと思います。
私の入社したN社では、入社初年度は夏のボーナスは5万円くらいの定額だったのですが、冬のボーナスは満額で70万くらい支給されて、額面年収は500万を超えていましたので、今の新卒年収の平均値よりもだいぶ上ではないでしょうか。額面500万で手取り月収が25万前後だったと思います。また、営業成績に応じて報奨金制度があり、毎月の契約金額順位に応じて5万円~20万円位の追加収入がありました。

また、持株会制度もあり、会社から10%の補助が出ていたので加入している人も多かったです。私は1年半程度しか在籍していなかったのですが、補助と株価上昇で60万円くらいの元手が退職時に250万円くらいになっていました。

若い人が多く、実力主義の業界なので、営業実績次第で2年目で支店長代理、3年目で支店長になるような人もいて、支店長になると800万~1,000万くらいの年収になったと思います。30歳前に支店長になる人も多く、本社の営業本部長は20代でした。実力主義で勝ち上がった人が出世する会社だったので、押しの強い人が多く、自分にも他人にも厳しく、ほとんどの役職者は今の基準でいうとパワハラ上司の部類だと思います。

労働時間は長く、1日のタイムスケジュールは、以下のような感じで、通勤時間の片道1.5時間を考えると平日は飲みに行ったり自分のための時間はほぼありませんでした。
6:15 家をでる
7:50 出社 業務準備
8:00 支払督促開始
9:00 朝礼、営業開始
12:00 昼食休憩
13:00 営業や契約のため外出
18:00 営業終了
21:00 支払督促終了
21:30 退店
23:00 帰宅

与信力と管理力

銀行と消費者金融の融資が決定的に違うのは、銀行は担保価値に対して融資を行うのに対して、消費者金融は信用融資という点です。信用とはつまり、支払える能力があるか、支払ってもらえる意思があるか、ということです。この信用度を判断するのが与信です。
消費者金融の与信は他社債務の支払い状況(支払い遅延が無いか)、勤務先と収入(個人事業主か、企業勤務か)、家族(独身、既婚、実家との関係)などの情報を基に判断します。当時は当然AIなどはありませんでしたので、審査部という本社の部門で融資稟議の内容を見ていくらまで貸せるかの決裁をします。消費者金融ではこの与信力が非常に重要です。貸したお金が帰ってこなければお金を借りている銀行に返せないのですから、出来るだけ帰ってこないというリスクを減らす必要があります。

もう一点、必要なのが管理力です。管理力とは債権の管理力です。消費者金融の融資は高金利ですし、担保を取っていないので回収不能になるリスクが高いのです。消費者金融では、貸したお金をいかに確実に回収しきるかという管理力が必要不可欠です。そして、これが1980年代のクレサラ問題の要因でもあります。あまりにも苛烈かつ強引な債権回収によって自殺者がでるなど社会問題になり、その結果貸金業規制法が成立されました。

私の入社した1999年当時は、すでに貸金業規制法が施行されており債権回収業務については厳しいルールがありましたので、支払い督促のできる時間帯や電話を掛ける回数なども決められていたのでした。

業界の転機

ミナミの帝王やナニワ金融道といった闇金、街金を題材とした作品によって80年代のクレサラ問題時代のイメージを引きずってしまっている部分もあったかと思いますが、武富士、アイフル、アコムといった大手もその他中堅、中小企業で働く社員達はごく普通のサラリーマンでした。急成長を遂げた業界だったので若い社員が多かったのですが、家庭を持ちまじめに働く30代や40代もたくさんいたのです。一方で気の強い強引な人が多かったことも事実です。

90年代後半から2000年初頭にかけて絶好調期を迎えた業界でしたが、2003年から2007年頃にかけて実施された法改正や裁判判決によって業界は存続の危機を迎えます。いわゆるグレーゾーン金利の廃止と、過払い金請求の判決が決定打になりました。

出資法で定める金利上限と、利息制限法で定める金利上限の間がグレーゾーン金利と呼ばれます。利息制限法では最大20%、出資法では最大29.2%とされていましたが、消費者金融の多くは出資法に定める29.2%を貸出金利としていました。最高裁判所で利息制限法を超えるグレーゾーン金利が無効とされたことに加えて、過去の契約におけるグレーゾーン金利も無効かつ債務者へ返済する義務があるという判決によって、消費者金融業界は一気に苦境に立たされます。その後過払い金請求が多発し、債務超過に陥り、大手はメガバンク傘下に入り生き延びましたが、N社は破産したのです。

その後、インターネットの時代を迎え、契約申し込みがネット、スマホアプリ経由に変わったことで無人契約機が必要なくなり、金融機関としての役目もスマホキャッシュレス決済を起点とした少額融資に奪われかけている状況です。

キャリア

金融機関勤務の経験をどのようにキャリアアップに活かして行けるのかということですが、その会社の金融商品の知識はキャリアアップには役に立ちませんでした。
活かせた部分は、法律、契約、与信、債権管理といった知識や経験でした。扱う商品が変わったとしても、法律の下に契約が行われてビジネスが成立するので、法律と契約の解釈は必須です。また、世の中のBtoB取引はほとんどが信用取引だと考えると与信や、債権管理の知識も必須です。自分自身の成長という意味ではお金の怖さを身をもって経験することができたのは、その後の私生活における考え方に強く影響を与えたと思います。

キャリアアップという点では、消費者金融の営業を経験した人というのは個人商品の営業や交渉スキルが身に付きますので、営業力を活かせる保険等のほかの金融商品の業界への転職者も多かったと思います。



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