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うそと自己欺まんについて学んだこと

チャオズ!どうも、餃子くんです。
本日は第1回目「うそと自己欺まん」について話したいと思います。

このブログでは『うそつき うそと自己欺まんの心理学』チャールズ・V・フォード著/森英明訳(草思社)を読んだ内容を自分なりにかみ砕いて説明しようと試みました。初めての試みで至らない部分が多々あると思います。しかも、書いてるうちに長くなってよくわからなくなっているところもあります。ああ練習してるんだなあ。くらいの感覚で読んでみてください/(_)\

↓今回読んだ本です↓

図書館にもおいてあるような本なので、気になった方はお近くの図書館で探してみるのもいいかもです。以下本書と記します。

うそはいいこと?悪いこと?

 小さいころから「うそつきは泥棒のはじまり」だとか「オオカミ少年」の話などから「うそ」は悪いものだ、と教えられてきた方は多いと思います。これらの例には、最終的に自分にとっても、うそをつかれた相手にとってもよくない状態になってしまうということがわかっているので、ここでのうそは到底いいものであるとは言えないでしょう。
 
 しかし、次の場合についてはどうでしょうか?例えば、あなたには画家の知り合いBさんがいるとします。彼の開く個展に招待されたあなたは初めて彼の描く絵画を見ることになったのですが、正直なところ好みとは程遠いといえるものでした。さて、帰り際あなたはBさんにどのような言葉をかけるでしょうか?

「招待してくれて、ありがとう。楽しく見させてもらったよ。」

 本音では、真に楽しめたというわけではないと思われる状況におけるこの台詞には、Bさんの自負心を傷つけないため、またはBさんとの良好な関係を壊さないためといった目的のためにつかれたうそであるといえます。
 

 このように、状況に応じてはついたうそが悪い結果をもたらすものもあれば、他人を気遣い、状況が悪くならないようにするようなうそもあります。絶対悪でもなければ絶対善でもないのがうその正体であるといえるでしょう。

自己欺まんとは?メリットとデメリット

 「うそ」は皆さんにとってなじみ深い言葉であると思いますが、「自己欺まん」についてはあまり意識されたことはないのではないでしょうか?

自己欺まん・・・自らの自負心を調整するため、精神の均衡を保つために自分自身をだますこと。(本書を作者が加筆編集)

 自分自身が理想としているあるべき自己像と現実の自分を比べたときに、努力や才能が足りていないと感じることがあると思います。そう感じたときに自我を守るための防衛機制に似た形で対処しようとする働きのひとつが自己欺まんです。これが正常に働いていると、より現実における自らの姿に対して幻想をいだいているということになるので、本来の自分に対して過大評価、状況に応じては過小評価をする傾向があります。

 では、自己欺まんのメリット・デメリットとはどのようなものがあるでしょうか?
上記の定義の内容を含めると、メリットは以下のとおりです。

メリット
・自負心を高く持つことができる。
・精神を安定させることができる。
・正常な作用によって、うつ病になるリスクが低いといわれている。

 紛れもなく、自らをだますことで現実世界でも精神的に問題なく生活ができるわけです。自己欺まんで社会的地位や経済的成功を収めた例も数多くあるでしょう。また、うつ病になる人の多くは、健常者よりも本来の自分(理想と比べたときの自分)を的確に評価する能力にたけているが故、過大に自己を評価する作用が起きにくい特徴を持ち合わせているといわれています。

デメリット
・現実とのギャップが行き過ぎるとどこかでボロが出る。
・自身に自らのルールを適用しているため、客観的に自分を見れなくなってしまう。
・視野が狭くなる。

 自己欺まんは他者につくうそに真実味を与えます。自分自身を欺いて通用してしまったうそはうそでなくなってしまうのです。また自分がそう信じてつくうそは見破ることが難しいといわれています(本書より)。しかし、いつかはうそは暴かれてしまうことがあり、うそつき扱いをされてしまうことはかえって自らの自負心を落としてしまう何とも皮肉なことになってしまうのです。

 このように、自己欺まんにもうそと同様、いい面もあれば悪い面もあり、一概にはその良しあしを二元的に判断するのは難しいでしょう。

 また上に挙げたメリットやデメリットはあくまでも部分的なもので、その全容を網羅することは心理学を専門としない僕には難しいことでした。。

どう上手く生きていくか?

 ここまで、うそと自己欺まんのメリット・デメリットを僕なりに挙げてみましたが、これらの行為は他者とのコミュニケーションや社会で生き延びていくためには必ず経験することだと思います。
 うそに関しては、うそをつくこと自体が道徳的か非道徳的かを考えるのではなく、他者との関係でそれがいかに用いられるかによって道徳的価値が判断されるべきであると著者であるチャールズ・V・フォードは語っています。
 また、相手の自己欺まんを助けるようなうそというのも日常の生活で絶えず行われています。例えば男女の関係は、お互い一緒にいることのメリットを守るために表面化する問題を自己欺まんによってみないようにすることであったり、相手に言い訳をさせる言い訳を提示するなど、お互いが共謀しあいながら関係を取り持つことがこれにあたります(本書中の例より)。
 他者との良好なコミュニケーションのため、相手を傷つけないためのうそは、うそをつくという行為に変わりはありませんが、一概に悪いとは言えないことがあるというわけです。

 しかし、このような関係は理想であるとは言えないでしょう。現実に理想を求めることは間違っていると僕自身も思うことはありますが、そこに寄せていくことはできると思います。誠実に相手と向き合うことは自己欺まんによるコミュニケーションよりは健全なもののように思われます。また、自己欺まんを自覚し、意識的にコントロールすることも可能であると思います。芸術が人間の情動を表現すること(昇華)だったり、自分自身をからかい笑うことのできるユーモアの能力などがこれにあたり、成熟した自我防衛機制といえるでしょう。そこに到達するには、やはり行動と経験が要となってくるということは明確です。人間やっぱりここに落ち着くんだなと常々思います。

・・・

 なんて、偉そうに書きましたが、僕自身まだ全然できてないことなので、この本を読み進めれば進めるほど心の内が暴かれていくような気分になりました。しかも、「他人の自己欺まんを助けるためのうそ」を説明せよなんてものは、自分の黒歴史をさらせといわれているようで、とてもとても。。。
この点、僕はまだユーモアの段階に移れてないんですかねえ~笑

長くなっちゃいましたが、ここまで読んでくれた人いるのかな~

いたら、ありがとう。君いいやつだね。これからもよろしく!

じゃね~。

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