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執筆とインプット、思考の広さ

お久しぶりです。ネオ香川です。

この間、noteの記事を読ませていただきまして、ふと思うことがありました。
読んだ記事はこちらに貼りますね。

なんというか、自分の記事とは格が違うなぁと心底痛感させられたんですよね。
こう、適度に力を抜いて読めるのに、納得感のある言葉が書かれていて。
「あぁ、これが読み応えのある良い記事だ」
と、気付かされた次第であります。
では早速、考えたことを書いていきたいと思います。


自己反省と記事の執筆における大事な3点

自分の書く記事は、うだうだとねっとりした文章で、回りくどい感じをイメージしています。
私自身、こういう文章を書くことが好きでして、読んでて「鬱陶しいなぁ」と感じていただければ、まさに望んだ反応なんですよね。
しかしこう、もう少し色んな方に読んでいただき、「良い記事だ」と感じてもらうには、しっかりとした技術を持たない状態で応用的な表現ばかり追求して、果たしてそれが良い記事になるのかと言った疑問が頭の片隅にいつの間にか出てきたんです。
その時期から、文章を書くことが億劫と言いますか、とにかく自分の書く文章と少し距離を置いてみたんです。
今こう書いてみると、気ままに書けてちょうど良い期間であったように感じます。

では改めて、先程リンクを載せていただきました記事(以下、当記事)を読んで、ふと感じたのはですね…。

  1. 見たり聞いたりするものの広さ

  2. 何かを見たり聞いたりした際の、感じたことや考えたことの広さ

  3. 感じたことや考えたことを伝える表現力の広さ

以上の3点に気付かせられました。

気付いたことをつらつらと語ります

私はあまり、CMをまじまじと見ることがありません。
CMに対しては、とにかく出来る限り無視したいもの、流れている間はトイレに行ったり、LINEを返したりする時間といった考えを持っていたため、よっぽど刺激的なものでなければ記憶に残らないどころか、残さないように努めていたように感じます。

当記事は、プレミアム・モルツ(美味しいですよね)のCMについて、描かれている「父親」から世の中のリアルな父親について分析しています。
そもそもCMそのものが非常に興味深い構成となっていますが、まずこのCMに関心を持って、思考を膨らませるそのプロセスを経ることができることについて、記事を書くにあたってとても大事なことであると気付かされました。
端的に述べますと、視野(知見)を広げないと、ネタは尽きますし、話の幅にも限界が生じます。
アウトプットに大事なことは、インプットである、当然のことかもしれませんが、私にとっては衝撃的だったんです。
きっと、上質な記事であるが故に、今の自分の能力では及ばないことを突きつけられることで真に気付く、というところかもしれません。

また、これはインプットの数にも比例することであるかもしれませんが、何かを見たり、聞いたりした時に考える思考の広さについても、見事に自分の未熟さを知らしめられました。
1つの物を見る時、これまで見たり聞いたり、感じてきたものがその物が持つ意味を規定するだろう、と私は考えます。
当記事を読んで、「このCMを見てこんなことまで考えられるんだ…」という感情になりました。
私はそういう意味で、自分の視野の狭さに気付くことができました。
この視野はきっと、インプットする機会やその対象も広げ、それらに対して考えることを続けることで、養われていくのかもしれないなぁと、感じた次第であります。

そして、何より大きな壁に感じたことは、広く、深くインプットしたものを適切に、丁寧に、大胆に表現する文章力です。
これは…どうやったら養われるんでしょうね。
悩ましいですが、やはりどうにもこうにもこの能力は無いと読み手に読み応えを与えることができないように感じます。
この点は、今後自分の課題になるだろうと思っています。

おわりに

とにかく、記事を沢山書いていくことが大事な気がしてきました。
そのために、色んな物に視点を当て、やんわりとでも色々思考を巡らせてみる。
考えたことをひたすら記事としてアウトプットして、また何かを見て考えてみる。
自分が何に対してどう感じ、どう考えるのか。
これに対して読者がどのように感じるのかを考えるには、やっぱり書くこと、書き続けることが重要なように感じました。

本日は以上になります。
ありがとうございました!
またね。


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