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呪いと祈り

今年1月から現在12月までを少し振り返る。

2020年12月、整形外科に入院していた。

飛び降り時の怪我で、治療のため入れた金属を抜釘する手術を受けるためだ。

そしてあと1ヶ月程で、飛び降り自殺未遂から1年が経つ。そもそも今回の入院、手術は、私が飛び降りなんて馬鹿馬鹿しいことをしなければある筈の無かった事だ。

今年の1月、私は空を飛んだ。

今でもその感覚を忘れられないままフラッシュバックに苦しんでいる。命を捨てようとした私への呪いだ。

今年は、人生のとても大きな転換期だった。

精神の病気と発達障害が判明し、生きづらさの原因が明確になった。診断書という紙切れ1枚で、こんなにも私の世界は変わるのか。

今まで、ずっとずっとずっと無理ばかりして、自身の体に鞭を打ち、「努力は報われる」という言葉を信じて、なんとか生きてきた。

何物かになりたかった。皆が認めてくれる、「自分」以外の何物かに。

他人の悪意や敵意に負けない人になりたかった。

自分を支えてくれる周囲の人も、自分自身も大切に出来る人になりたかった。

人知れず遺書を書いていた小学生時代からの希死念慮に終止符を打ち、1月に死んでた筈の命だと思っていた。生き延びて”しまった”と、当時は精神科病棟の真っ白な天井を睨みつけ、唇を噛んだ。

大学へ進学して新生活を始めてもなお、幻聴と希死念慮に苛まれた。授業中、幻聴と混ざって教授の言っている事が分からない。常に悪口が聞こえる、飛び降り未遂など。もうめちゃくちゃだった。

その時も、「あの時死んでおくんだった」とばかり思い、毎晩枕を濡らした。

だが、今年整形外科2回、精神科1回合計3回入院して分かった。

生き延びて”しまった”?

違った。周りの温かい人達の手で生かされている。

両親、恋人、祖父母、沢山の医療従事者の方達。

特に、両親にはもう頭が上がらない。発達障害や精神障害を認め、治療に専念出来る環境に置いてくれた。だが、心身共にボロボロで安くない医療費を払わせている自分が情けなくて、何度もおしまいにしたいと沢山泣いた。

その度に「死んだ方がいい人間」「あの時自殺を完遂していればよかった」では、決してないんだよと、自分に言い聞かせる。

今年も雪が降る。

今年1月の雪明かりは、人生に絶望し、自殺未遂した私を照らしていた。

来年の1月の雪明かりは、どうか、どうか、

嘘のない笑顔の私を照らしてくれますように、と祈る。

先の見えない不安はいつまでも続くだろう。

来年もきっと、大変な年になるだろう。

それでも私は、いつか呪いが解ける日、自分が自分を赦すことができるその日は来ると信じたいのだ。

病気の寛解を祈ること、人生に希望を見出して生きることを辞めないでいたい。

あの時泣いていた「自分」を報えるのは、幸せな「自分」だけなのだから。







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