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左手薬指のキラキラ

世の中には、ある時から急に気になってしまうものがある。

それは、漢字を覚えた後の商店街の看板だったり、免許を取った後の道路交通表示だったりする。

わたしにとってそれは、入社後の結婚指輪だった。

前髪をかきあげるとき。
カップを持ちあげるとき。
資料を手渡すとき。

そいつはちらりと、でも明確に存在を主張する。

両親や親戚含め、結婚指輪を付ける流派の人が周りにいなかったので、わたしにとって結婚指輪は「結婚した人がつけるもの」という知識であり、概念であり、象徴でしかなかった。

世界のどこかには絶対に存在しているけど、自分には関係のないシロモノ。

だから、初めて出社したその日、上司となった男性の左手に指輪がはめられているのに気づき、一瞬違和感があった。

その瞬間はまだ、それが結婚指輪だと認識できていなくて、スーツを着た見るからにまじめそうな目の前の人と、その指輪がうまく結びつかなかった。

指輪をつける男の人は、少し遊び慣れたやんちゃな人だというイメージあったからだ(偏見)。

そして、コンマ0.3秒後、「あ、そういえば結婚指輪って男の人もするんだっけ。」と思い出すに至り、はっとして社内を見渡すと、ある一定の年齢以上の社員は、そこそこの割合で男女ともに左手薬指にやつを宿していた。

ここでわたしの頭の中に一つの疑問が浮かんできた。

彼らはなんのために結婚指輪をはめているんだろう。

かっこいいから。
気分が上がるから。
つけたいから。

この理由ならよくわかる。わたしもアクセサリー収集癖持ちだから。

ただ、ファッションに関心のないオジサマ方も装着されているのを見るに、全ての人がおしゃれでつけているのではないことは確実だ。

じゃあ、「わたしは結婚しています」って周囲に表明するため?

たしかに、コロナ禍で1年ぶりに会った先輩社員の左手に、さりげなく光り輝く金属が追加されているのを見て、実は半年前に結婚していた、という事実を知ったことがある。

自分から「わたし結婚したんです!!」と伝えるまでの間柄でない相手に、「実は結婚したんですよね」と伝えるためには大変有効なやり方だ。

だけど、わざわざ自分から「わたしは結婚している」と表明するのは何故なのか。「結婚していますか?」と聞かれたその時に「はい」と答えれるのではだめなのか。

「持ち家に住んでいます」
「猫を飼っています」
「姉がいます」
「コーヒーが好きです」

自分の基本情報として、こういった事柄を表明するシンボルを身につけることは、わたしの知る限り、ないと思う。

なぜ結婚指輪の存在は、他人に認識される必要があるんだろう。

人が初心者マークやマタニティマークをつけるのは、周りの人に配慮を求めるためだ。

結婚指輪にも同じ理屈が当てはまるのであれば、「わたし結婚してるんだから取り扱いに気をつけてよね」ということになる。

誰に向けた言葉か。それはたぶん、周りの異性に対してだ。

「もうわたしには決まった相手がいるのだから、わたしに気があっても手出ししないでちょうだい」と、暗にきっぱりと伝えているのである。

こうなると結婚指輪は、他の異性が寄ってこないようにする魔除けの役割まで担っていることになる。

あの小ささでとんでもない働きぶりである。

ただ、ここで問題が発生する。

それは、左手薬指に指輪をはめると、結婚指輪だと認識される、ということだ。

国によっては右手薬指だったり、足の指だったりするそうだけれども、少なくとも日本ではそう見なされる。

つまり、既婚者以外は左手薬指に指輪を付けない、というのが暗黙の了解になっている。

これが問題なのである。
哀れな独身指輪愛好家の嘆きを聞いてください。

わたしは、指輪たちを複数の指にたくさん付けるのが好きだ。一つの手に、2-3個ほどじゃらっとつける。

そして、わたしが所持している指輪の中では、薬指サイズのものの数が1番多い。というか、わたしの調べによると、世の中で販売されている指輪は、薬指サイズのものが圧倒的に多い。

…お分かりいただけただろうか?

つまり、世に出回っている薬指サイズの指輪と、受け皿となる薬指の、需要と供給のバランスが大崩壊しているのだ。

この圧倒的薬指不足、どうしてくれよう。

実は一度、他の指に紛れさせて、左手薬指にもさりげなく指輪をはめてみたことがある。だけど、めざとく見つけた友だちに、ずいずい追及されることとなった。

わたしは!ただ!好きな指輪を好きな指につけたかっただけなのに!!!

思い返せば、指輪の複数付けを始めたのも、華奢な右手薬指につけていたら幾度となく「彼氏からもらったの?」と聞かれたことが遠い原因に当たるように思う。

そんな相手はいません。自分で買っちゃだめですか。ただの輪っかに特別な意味を見出し過ぎていませんか。今時指輪なんて数百円で幼稚園生だって買えるんだぞ。

未婚女性にだって左指に指輪をはめる権利を、許しを、どうか。

というか、だいたい、「未婚」ってなんなんだ。

よくアンケートや書類に、既婚か未婚か選ばされるものがあるけれども、「未」は「まだ」「これから」を意味するものだ。ということは、未婚とは、「まだ結婚していない」けれど、将来的には結婚するという意味を暗に含んでいるではないか。

この多様化の時代、未婚の進化系が既婚だとは限らない。

結婚したい人は結婚して既婚になればいいし、そうでない人は独身って言えば良くないですか?だめですか?

と、カップルにまつわる指輪の存在をあまり面白く思っていなかったわたしだが、最近、結婚や婚約の報告をする友人たちの、お花やケーキやおそろいの指輪やはにかんだ笑顔で溢れる投稿を見て、考えを改める必要があるかもしれないと思うようになった。

写真に映る彼らはどう見たって幸せそのものだ。彼らの指にはまるそれは、幸せそのものの象徴だ。永遠の愛のシンボルだ。

彼ら彼女らがなぜ指輪を付けるのか。

愚問だった。

愛だった。それは、純粋で潔白で高貴な愛だった。

好きだからつけるのだ。大切な人との大切なものだから、肌身離さず如何なる時も共に過ごすのだ。

ペアリングの最終形態。おそろグッズの最高峰。

魔除けだとか言ってた過去の自分よ、さすがに根性曲がりすぎだ。

というか、独身街道をまっしぐらに進んでいるわたしは、最近まで婚約指輪と結婚指輪が異なるものだとも知らなかった。あの、プロポーズの時にぱかっとするのは婚約指輪で、結婚指輪とは別物だということに。

高い高い指輪を二度も買うなんて、愛の財力ってすごい。経済回してる。既婚者偉い。ほんとに偉い。

…でも、あの、ほんとにたまにで良いので、3か月に一度とかでいいので、わたしも左薬指に指輪つけるの許してもらえませんか?

追記:
今回調べ物してから結婚関連の広告に追っかけられています。困ったな。


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