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恋人と心の距離が近づいた理由

今の私にとって一番身近に感じるのは恋人だ。彼とは今年の3月で出会って一年になる。去年一度別れ年末に復縁した。以前恋人だった期間よりも復縁するまでの時間でお互いのことをよく知ることができ、心の距離を縮めることができた。今では信頼がおける友人のような恋人だ。

ただこの関係になるには時間を要した。

皆さんにも思い当たる節があるかもしれないが、友達以上に大切な人、それほどまでに親密で身近な人にこそ心のうちを曝け出すのが怖いという感情を持ったことはあるだろうか。もし否定されたらどうしよう」「嘲られたらどうしよう」「理解されなかったら」と不安になることはないだろうか。

私は長い間、彼にどう思われるのかという反応が怖くて自分の話をすることができなかった。特に私たちの場合、お互いの性格や趣味が正反対であることも関係しているだろう。そのうち、彼と話していてもどこかで心のうちを隠して、彼の話を聞くに徹するようになった。聞き手に周り、彼の話に相槌を打ち、自分の話をしなくなった。

しばらくの紆余曲折あって復縁した後、二人でお風呂に浸かりながら話す日があった。

彼が「Rikaは自分のこと全然話さんよな。なんでなん?」と聞いた。唐突な質問に若干怯みながら、「なんでかな、、多分聞いてる方が好きだからだと思う」と答えたが、内心は自分の話をした時に肯定的な反応が得られなかったらどうしようと怯えていただけだった。その感情を読み取ったのか、表情に出ていたのかは分からないが彼が言った。

「俺はRIkaの話が聞きたいんやけど」

「なんで?私の話なんて面白くないよ」

「おもろいとかなくない?好きな人のことは知りたいもんやろ」

「別に話すことないし、、」

「は?なんなんそれ。、、まあ、わかってたことだけどね。RIkaが話したくなるまで待っときますよ。いつになるかね」

「うん、、ごめん、でも、ほんと話すようなこともないよ。楽しくもないし」

「はああ、、その言い方何?なんか俺のこと信頼してない感じなの?」

信頼してない。その一言で私は腑に落ちた。ああ、私は彼のことは信じていないのか、と。同時に彼に何も言えなくて「信じていない」ことを肯定することにもなってしまった。

信じていないという事実が予想外に自分の心に刺さった。自分のことばかり可愛くて、傷つくのが怖くて、自分を守っていたけれど、それが逆に彼を傷つけていたなんて考えてもみなかった。彼は私のことを信頼して信じてくれているのに、私が彼のことを信じていなかった。

考えてみれば、私が恐るようなことはなかった。彼が私のことは否定したことはなかったからだ。お互いに共通点が少ないからこそ理解し難い考え方、自分史を持っていて、相手からの期待する反応をすることが少なかったというだけ。彼が「理解できないわあ」というニュアンスのことを言っていたとしても、決して否定してるわけではないと今になって気づいた。

信頼できない理由なんてなかったのに。勝手に彼の「虚言」「虚像」を作って戦っていたのだろうか。信じるに足る根拠はたくさんあったのに。

しばらく言葉を失って自分の盲目さに失望を覚えた。

彼が冷ややかに私の反応を伺っていた。私が何も言い訳ができなくて、でも肯定もできない状態に呆れた様子だった。

しばらくして私は言った。

「ごめん。これからはもっと自分のことも話すようにする」

「うん。そうして」

曖昧に謝ったものの、彼に自分のことを話すことを誓った。

自分のことを話すというのは、いわば自己開示をするということだ。彼に自己開示することを恐れないと心に決めた。

それから徐々に好きなもの、大切にしているものについて話し、好きなものを好きと言える勇気を持てるようになってきた。

最近では彼の方からも歩み寄ってくれることも増えた。例えば、私が個人でやっているPodcastを聴いてくれるなどである。Podcastは自分の中で大切にしていることの上位にランクインするからこそ嬉しく思った。

まだまだ自分語りをするのは難しい。電話している時に黙っていると「Podcastみたいに喋ってよ。あ〜なんも話してくれない!も〜いいもん!」と言われることがあるものの、徐々に自己開示ができるようになってきた。話をする度に「変わってるわ〜」と言われるが、それに対してに軽口を叩けるようになったんだから成長である。

きっとこの先、相手を理解することが難しくてギクシャクすることももちろんあるだろうけど、その度に話し合って歩み寄れるようになればいいなと考えるこの頃である。

皆さんも、今一度自己開示について考えてみてはどうだろうか。

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