見出し画像

嫉妬の正体は?

私の親しい友人が大学のミスコンに出てファイナリストに選ばれた、という。ミスコンはテレビの中のエンタメだと思っていたからびっくりするとともに、さすがだなと思った。ミスコンに出るとかそういう単純なやっかみを言いたいわけではないけれど、やっぱり自分に自信があるというのは羨ましいなと思った。

で、ここで「うらやましい」と思って終わったらおしまいだと思っている。確かに彼女は美人だし、私には叶わない魅力を持っているからどうしたって及ばないなって感じてしまうのも仕方がないけれど、だからといって自分磨きを諦める理由にはならない。

なぜなら、自分と彼女を比較して何が足りていないのか、どこにギャップが生じているのかを言語化し、そのギャップを埋める努力をすれば良いからである。100%彼女になるわけではなくて、部分部分の魅力を似せて自分の魅力をアップデートしていけば良いのだ。

「人は人、自分は自分だよ」なんていう人もいるけれど、人と比較することで自分が見えてくることもあるから、私は比較して嫉妬した感情をバネに自分の成長につなげていきたいと思っている。

彼女の話に戻ると、私は彼女を単純に嫉妬することはない。なぜなら、彼女は出会ってから常に努力をしているし(私たちにはわからないところで)、今の彼女は少しずつ積み上げた自信と努力の賜物だと知っているからだ。

同時に、彼女自信が内面も魅力もあるとわかってるからである。彼女はずっとモデルの活動を精力的にしていて常に美しく輝いている孤高の存在のように感じられる一方で、いつも優しく話を聞いてくれて後輩や友人を愛しているのが伝わってくる。しかも、ちょっと毒舌で弱さがあるのも可愛い。その一方で、仕事が早く何事にもチャレンジして成果を上げているギャップもあるんだから尊敬するしかない。私の推しである。

こういうわけで、ただ嫉妬するとかいうことはないのである。でも、心の中でモヤモヤするものの正体は、尊敬と畏怖と自己嫌悪なのだろう。それに向き合うことで私も一皮剥けると思う。

↓今日の話の別バージョンはSpotifyから聴けます。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?