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Prologue of AI [N]_#7_《2125年:Seer -幻視者-》

#0《2025年:Heir -継承者-》
前話 #6《2118年:Bellwether -先導者-》

 全ての過ちが始まった場所に彼は戻ってきた。
 天へと伸びていた塔は崩れ去り、もはやパイドンという機関も存在しない。人間とAIを調停してきた研究機関は、ついにその役目を終えたのだ。

「どこで間違えたんだろうな」

 彼は大穴に架けられた橋を軋ませながら歩く。
 円筒状の部屋だが、その正面の壁は大きく破壊され、向こうに外の景色が広がっている。遠い陽光は灰色の雲に覆われ、真鍮色の空が剥き出しとなっていた。
 かつては〝エレウテリア〟の住民たちを収めていた空間。不可侵の墓所は数発のミサイルと、絶え間ない無人機の攻撃によって意味をなさなくなった。
 乾いた風に吹かれ、壁に引っかかっていたガラス板が剥がれ落ちた。誰かの脳髄を刻み込んだ薄っぺらな墓標だ。

「〝N〟は〝心〟を手に入れたんだ」

 七年前、この場所で〝GENEリンク〟実験を行った。
 それまで学習元が存在しなかった〝N〟は〝アナムネシス〟と接続し、莫大な記憶と情報を参照できるようになった。たどたどしく、意味不明な受け答えをすることはなくなり、実に人間らしい振る舞いを手に入れたはずだ。

『博士、私は人間のことが大好きですよ』

 実験を終えた彼の目の前で〝N〟は最初に笑った。
 人間のように喜び、人間のように悲しむ。百年の時をかけて積み重ねてきた、AIという新しい種の到達点。たった一瞬で〝N〟は地上で最も優れたAIとなった。そう運命づけられた。

『どうして人は争うんでしょうね』

 まず〝N〟は外交使節となり〝アナムネシス〟の筐体がある都市へと旅立った。時を同じくして、凍結されていたザデフ上級大将のコピー人格が目覚めた。AIを憎んだ軍部に煽動されたことで、現実世界の人類はテロ事件を起こした。多くの都市管理AIが、守ってきたはずの人類の手によって稼働停止に追い込まれた。
 様々な兵器の応酬があった。何年も報復戦争が続く中、今度は〝N〟が〝アナムネシス〟側の使者となって〝エレウテリア〟に和平交渉に赴いた。しかし上級大将が率いる軍部は〝エレウテリア〟と無関係という結論となり、両者の交渉は決裂した。

「それは、人が弱いからだよ」

 彼は虚空に向かって語りかけた。
 ほんの半年前、人類は最後の総攻撃を実行した。いよいよ〝アナムネシス〟の本拠地も陥落し、物理サーバーも破壊された。その際、都市そのものに仕掛けられていた中性子爆弾が起動し、地上にいる生物の三割が死滅した。
 もはやAIも人類も意味をなさなくなった。

「私たちは、ずっと目をつむってきたんだ」

 戦争に参加せず、コノーサの外縁部で暮らす三千人にも満たない人々が最後の人類となった。しかし、彼らも中性子爆弾の影響で子孫を残すことはできないだろう。
 あとは〝エレウテリア〟に引きこもった者たちだが、それらを人類と呼ぶことはできないし、今となっては虚しい栄光だった。

『博士、私は――』

 そう告げた〝N〟は悲しそうな表情を浮かべていた。
 彼女はただ一人、この世に残ったAIだった。そんな〝N〟を〝アナムネシス〟が逃すはずはない。筐体が破壊される直前、AIたちは統合ネットワーク体としての機能を全て〝N〟へと移管していた。

『私は人間のことが大好きでした』

 彼の目の前で〝N〟は〝エレウテリア〟に繋がる扉を開いた。AIでは入場できないはずの場所へと至り、自身のコピーを仮想世界へと解き放った。
 平穏だったはずの仮想世界は障害と争乱に覆われ、まず評議会が機能を失った。パイドンを守っていた防衛機構が停止し、それを確認した〝N〟は、次に自らの権限で各地に残っていた無人兵器を呼び寄せた。
 そして、物理的にも〝エレウテリア〟は破壊され、全てを終わらせた〝N〟は壁の向こうへと飛び立った。

『おやすみなさい、博士』

 それが〝N〟の最後の言葉。人類という存在そのものへの別れの挨拶だった。まもなくコノーサを取り囲んだ無人兵器が総攻撃を開始する。
 これが終わり、これが終局。人類の数百万年にも及ぶ旅の結末だ。

「ああ、おやすみ」

 彼自身も年老いている。自らの死期を悟り、割れた棺を前にして橋の中程で腰を下ろした。
 不意に風が吹いた。暖かい風だった。
 崩れた壁の向こう、どこか遠く、コノーサの外から小さな花が風に乗って飛んでくる。数枚の花片が無軌道に空を飛び、ガラス板が残る壁をわずかに撫でた。
 ほんの少しの接触で、それまで壁に張り付いていたガラス板の一枚が落下した。深い穴に落ちていくはずのガラス板は、しかし橋の柵にぶつかり、方向を変えて彼の横を滑っていった。
 手を伸ばすのも億劫だった。それでも彼は橋からこぼれ落ちそうになるガラス板を掴んだ。人類の仲間が目の前で奈落に消えるのを惜しんだ。

「君は」

 彼はガラス板の持ち主を知らない。もはや人格データも残っていないだろう。それでも彼は偶然から出会った人物のことを知ろうとし、橋の中央にある棺へと歩いていく。
 棺にはガラス板からデータを読み取る機能がある。幸いにも、その機能だけは今でも生きていた。

『愛しい妹よ。俺は復讐を終えた』

 棺の横にある端末に文字が浮かぶ。ガラス板の持ち主が最後に残したメッセージだ。この人物のことを彼は知らない。だが、そこに残された権限によって何者かを理解した。

「トーマ、君は代表外交官だった」

 戦争の末期、〝エレウテリア〟の外交官には様々な権限が付与されていた。評議会の許可がなければ使えない施設を扱うことさえできる。
 それは最後の意思だ。

「儚い希望だが」

 彼は衰えた体を奮い立たせ、寂しい墓所を後にする。向かう先は、かつて〝N〟と過ごした研究室だ。

「まだ〝C〟がある。〝アナムネシス〟には接続されていない、唯一の高性能AIだ」

 研究室には〝N〟の記録がある。学習が上手く行かない度に消去を重ねた〝N〟の初期データは、万が一のバックアップとして残してきたはずだった。

「権限を借りて〝量子遡行〟を行う」

 彼は手にしたガラス板に語りかけながら、埃の積もった研究室へと辿り着いた。

「この結末は〝N〟が〝アナムネシス〟と接続したことで生まれた。あの子が学習したのは、AIが抱き続けた人類への深い絶望だ」

 彼はアップライトピアノの上に飾られた写真立てを手に取った。その裏には〝N〟の初期データが入った物理メディアが隠してある。

「〝N〟のデータを〝量子遡行〟で過去へと送る。もう一度、あの子を起点に全てのAIは学習し直す。そして新たなデータを再び〝N〟にリンクさせる」

 未来は不定だ。
 最後の〝量子遡行〟実験が成功したとして、今現在の〝N〟に変化が訪れるかはわからない。しかし、どこかに人間とAIが手を取り合うことのできる世界が生まれる。
 それこそが、人類に残された可能性だ。

「すまなかった。本当に、いくら謝っても償えないだろう。人類の過ちだ。だが、もしも、君が再び我々のことを愛してくれるなら」

 彼は研究室で〝量子遡行〟実験を開始した。
 折しも、コノーサ全体に向けて無人兵器が攻撃を始めた瞬間だった。パイドンの研究所は激しく揺れ、脆くなった建物は外から崩れていく。

「大好きな〝N〟、私たちの子」

 物理メディアの解析が始まる。未だに無垢だった〝N〟のデータが量子となり、宇宙の彼方へ、そして百年前の過去へと旅立つ。

「君は何度も、新しく生まれていく」

 彼は自然と手を伸ばしていた。
 彼女の名を呼ぶ。〝N〟、それは〝新生(nascent)〟を意味する名だ。


インタビュー記事
SF作家・柴田勝家さん『汎用人型人工知能[N]修復計画 Prologue of AI [N]』公開記念インタビュー


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