琺瑯を削ぐ(2017.5)

 先週から右の奥歯にできた虫歯が痛くてでも歯医者に行く時間なんてないくらい忙しいと自分にいいわけをするわそもそも時間があってもあんなところ行きたくないわで結局ほったらかしにしているのだけれどいつまでも行かないでいると虫歯菌が脳にはいって危険な病気になることがあるというほんとうか嘘かさだかでないことを母親がいうから馬鹿じゃないそんなことあるわけないじゃんと鼻で笑うとあるんだからこのまえ見たもの新聞でとかえされたので二階にあがり自分の部屋の戸口をしめて寝台に横になって携帯端末で「虫歯菌 脳」と検索してみるとたしかにあるようでああどうしよう急に怖くなってきていてもたってもいられなくなりそれでもあたしはあの銀いろの蟹のあしみたいな医療器具を口内につっこまれるのがどうしても耐えられないしくわえて鼻がつまっているから息はくるしくなるしこうならないために朝昼晩歯磨きを欠かさずしてそれでも虫歯ができ弟ふたりは父親の遺伝でまったく歯を磨かないのに虫歯にならずあたしだけ母の遺伝で歯がよわいなんて不条理じゃないかと掛け布団に頭をかぶせて泣きたいが涙が出ず最近は泣きたいときに涙が出ずなんでもないときばかり涙が出て級友に陰で頭がおかしいんじゃないかと噂されているのを耳にしたことまでおもいだされて芋づる式にかなしみが膨れあがりようやく泣くことができると気持も楽になり嗚咽がおさまるころには歯医者に電話することを決め受話器のむこうから男の本日六時ですねかしこまりましたという水気のある声がきこえかれはきっとあたしよりすこし歳上の大学生で父親のあとをつぐために研修中なんだどんな顔をしているのか気になりだしいそいで化粧をして髪型をととのえ襟ぐりの深い大人びてみえるであろう衣服に身をつつみ家をとびだし信号をみっつ超えたさきにある歯科医院に行ってみると男は四十代の子持ちで治療はものの数分でおわった。

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