人の気持ちはわからない。でも。
思いやりや想像力は大切だけど、本当のところ人の気持ちなんてわかりようがない。
深くまで潜っていけるのは、自分の感情だけ。
でも、自分のなかの奥深く、トラウマとか孤独とか絶望なんかを突き抜けたその先は、
人類共通の意識みたいなところに繋がってる気がしていて。
でもまあ、基本的に体験できるのは自分の心だけだし、それ以外のものには寄り添えない。
だから私はこのnoteでも、人の心に寄り添いましょうといったことを おそらく一度も書いたことがない。
わかりもしない 人の気持ちを追いかけるほど、わかってほしいという自分の気持ちが迷子になる。
だから人は、人といるのに孤独になる。
逆に、他人じゃなく自分の気持ちをわかってあげることを追いかけていると、
なんかわかんないけど自分以外の人からも「わかってくれた」とか「ありがとう」って言われるようになったりする。
だから自分に優しい人は、孤独になれない。
パラドックス。
自分が自分の気持ちを理解するとき、
自分も人のことを、そして世界も自分という人間を、理解し始めるのだよね。
自分以外への忖度を諦めて 一人になる覚悟をきめたとき、どうせ一人にはなれないということを 人生のほうから優しく思い知らされる。
これは他人に厳しく自分に甘くとか、そういう次元の話ではないんだよね。
人に優しくしなくてもいいとか、そういう話でもない。
人の気持ちはわからない。どこまでいってもわからない。
言葉にのせてみても、そっくりそのまま伝わるわけじゃない。
どんなに近づいてみても 見えないしわからない。
想像したり、確認しようとすることはできるけれど、完璧な答え合わせなんて しようがない。
わかってあげることやわかってもらうことだけが愛の正解ではないし、
わかってもらえなくて苦しいのなら、それは「わかってもらえなくて苦しいと感じてる自分の気持ち」をわかってあげて愛してあげるべきとき。
他人にわかってもらったことで一時的な快楽を得たとしても、自分で理解してあげないかぎり、分離感は地獄の底までついてくるからね。
でも、それでも。
わかってもらいたいとか、相手の気持ちをわかりたい、わかりあいたいと願ってもがく気持ちは、とても愛しくて尊い痛みなのかもしれないな。
おしまい。
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なんか思ったこと。
雑貨屋さんやってます。よかったらのぞいてみてくださいな。
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