「今を生きる」という祈り。
毎年このホリデーシーズンは、私にとって世界の平和に思いを馳せる時間。
控えめに言って地獄の沙汰のようなクリスマスだとか年末年始を過ごしたことがありまして。笑
それで必然的にこの時期が近付いてくると、静かに祈りたい心境になってくるのだよね。
世界平和って言葉を聞くと、人種や宗教を越えて「みんなで仲良く」することだってイメージを誰もが抱くとおもう。
だから『世界平和』という単語には「偽善者の語るふわふわした絵空事」みたいなイメージがつきまといやすい。
現実主義です、みたいな人には嫌われがちだよね。
でも私は、平和ってそうじゃなくて、マインドフルに生きる人類が増えていくことだと思ってる。
マインドフルに生きるって、他人に介入しないということ。
精神性の部分でそれぞれが自分でしっかり軸を立てて、自分の足で立つってこと。
万人と仲良くするとかわかり合うなんて出来ない。
本当に出来ないよ。
でも仲良くできない相手やわかり合えない隣人が当然いるという前提のもと、相手の庭をお互いにわざわざ荒らしに行ったりしないことが『平和』ってもんなんじゃないかなって思うんだよね。
自分が自分の足で立って、自分の人生に集中してたらさ、他人の庭に踏み込んで汚してやろうなんてまず思わないと思うから。
自分の人生生きることから目をそらして他人の庭を汚しながら「世界平和なんて夢物語」なんていうほうがよっぽど盲目的でお砂糖漬けのファンタジーな世界観だなっておもうのよ。
自分の感情のお世話をちゃんと自分でする大人が増えていくこと。
他人をどうにかすることじゃなくて、自分を生きることに集中できる大人が増えていくこと。
奪うのではなく自分で満たすこと。
それができる環境や境遇に恵まれてる人から、その輪を広げていくこと。
そんな個人レベルの小さな小さな一歩が、人類の幸福を底上げすることに繋がっていくんじゃないかなって私は思うわけで。
誰とでも仲良くしようとするんじゃなくて、誰とでもわかり合おうとするのでもなくて、ただ個人個人が「今」というその瞬間瞬間を生きる。
それだけで、この世界に平和な場所が増えていく。
これって少なくとも現状身の危険が迫っていなくてこうしてネット繋げられる環境を手にしている人だったら誰にでもできる平和への貢献だよね。
そんなのなんの意味もないって笑われちゃうかな。
でも、ジョンレノンも言ってた。
“You may say I'm a dreamer, but I not the only one. I hope someday you'll join us, and the world will be as one” 「Imagine」より
(私のこと、お花畑だって言うかもしれないね。でも私はひとりじゃないもんね。いつかさあ、あなたも仲間になってくれたら嬉しいな。そしたら、世界はひとつになるんだあ。)
Imagineの歌詞じゃないけど、今この瞬間この場所以外に天国なんてどこにもなくて地獄なんて幻想でしかなくて、私たちは自分の今日を生きるだけ。
その事実に気付いて今を生きる瞬間が増えていったら、自分の世界の平和が実現されていく。
綺麗事が綺麗事じゃなくなる。
そんな人が人類のなかに増えていったら、世界がちょっと “better place” (今度はマイケルジャクソンから拝借した)になる。
私が今を生きるとき、その瞬間世界にひとつ、優しい場所が生まれるよね。
奪ったり侵略しようとしない、ニュートラルな人が増えるんだよね。
それは最小にして、個人にできる最大の平和への貢献だとおもうんだ。
世界が少し平和に近付くとき。
それがあなたやわたしが「今を生きている」とき。
人類が「今を生きる」センスを思い出すとき、まるでオセロの白と黒がひっくり返るように、この星はすごく平和な色に、その表情を変えていくのだろうな。
おしまい。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?