欠けては満ちる月のように。
地球のまわりに月が寄り添って、それが変わることがないように
生きていくうえで、どうしても自分と きりはなせないものってあると思います。
それは満月のようにまんまるに満ちて、明るく光を放つときもあれば
新月のように、失くしてしまったように見えることもある。
満月にむかうように 大きく拡大していく局面もあれば
新月にむかうように 光が弱まっていく局面もある。
それは、自分のちからではコントロールのしようもないこと。
個人の采配では変えられない、なにか大きなながれのようなものって、やっぱりあるとおもいます。
でも、こちらの事情でいろんな見えかたがするだけで
月はいつでもわたしたちに寄り添っているし、地球のパートナーであることには変わりません。
人生のいとなみも、同じこととおもうのです。
自分とは きりはなせないあれもこれも、自分に微笑みかけているように 見えるときもあれば、自分のもとから 去っていってしまったように感じることもある。
でも、それは ほんとうはいつでも欠けずにそこにあって、向こうが変化しているというよりは 自分の見かたや思いかたが変わっているということもあるのかもしれない。
地球が超高速で動いていることを わたしたちが認識できないのと同じように、
自分自身のことも、たとえば季節が変わるような 大きな変化が感じられないと気づけないものなのかもしれない。
でも、目を閉じると感じることはできる。
大切なあれもこれも、ほんとうはいつも変わらずに それそのものとして存在していて、自分との関わりかたが変わっているだけ。
そして、月の満ち欠けにサイクルがあるように、わたしたちにも満ちていくように見えるとき、欠けていくように思えるときがある。
コントロールできない流れというものもある。
コントロールできないときは、足掻こうとせずに、ちからを抜いてしまったほうがいいのかもしれないね。
そして目の前の、自分のちからで動かせるものを動かしたりして遊びながら、また満ちてゆくときを待てばいい。
今日は中秋の名月。そして明日は満月です。すてきな月夜を お迎えください。
🐑🌕
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