noteとTwitterの狭間で。
Twitter大好きマンのはずの自分が、Twitterをあまり開かなくなっていることに気付いたのは最近のこと。
多少オフラインが忙しかったとはいえ、これはおかしい。
よくない傾向である。
もしかしてわたしさん、ついにnote脳になったのだろうか……
とおもうと、noteという空間が 私はとてもすきなのだけど、なんだか少し胸が痛んだ。
Twitterのアカウントは、特別フォロワー数が多いわけでもなければ、バズったことがあるわけでもない。
至ってフツーのアカウント。でも、TLを開くと、そこにはフツーじゃないあったかい人たちがいるの。
コロナがなければ、今年は全国の仲良しのフォロワーさんのところ回ってたかったなあってくらいにはリアルなツイ廃だったわたし。
(実際は来てくれることのほうが圧倒的におおかったのだけど。)
そんな私が ころなをきっかけにひきこもり芸人に転向。
愛すべき廃人生活に味をしめて 完全にニート脳に進化したため、Twitterの140文字では飽き足らずついに貪欲にnoteに手を出してしまった。
noteはずっと前にも使ってたんだけど、その頃はTwitterの人たちが見てくれたらいいやってしか思ってなかった。
でも今は、なんだろう。
noteでは、Twitterのファミリー感とはまた違う、みんなの頭とか心の中身(しかもちょっと濃いめ)をそっとのぞいてムフフみたいな 落ち着いた居心地のよさみたいなのを感じはじめてる自分がいる。
自分が書いてるときは、心を脱ぐ気持ちよさもあるよね。
noteという街は、なんか素朴だけど品がよくて洗練されていて、エモいまではいかないくらいのノスタルジックなおしゃれ感があって、実は自分としては場違い感もなきにしもあらずだったりする。
noteを東京の街にたとえるなら、おしゃれな人が通うインテリアショップとかが点在してそうな外苑前とか目黒通りとかそんな感じ(わかりづらい)。
私みたいなのが浮いてしまう気がするのもまあしかたのない話。
それでも余計なこと考えずに、シンプルに文字だけ打っていていい この感じが楽で気に入ってます。
若干の場違い感は否めないけど、それでも私の心の排泄欲と脱ぎたい欲をどこまでも満たしてくれるnote。ありがとうnote。
(もっとマシな感謝のしかたはないものか)
おしまい。
あたいのTwitterは文京区(またまたわかりにくい)。
文京区は東京23区内で治安のよさNo.1だそうです。
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