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たとえばふにゃふにゃのタッチではピアニシモが美しく響かないことのように。

ピアノの話なんですけどね。

ピアニッシモっていうのは【きわめて弱く(very soft)】という意味の強弱を表す用語で、楽譜上ではppという記号で表されます。

(もっと弱いpppとかもあります。)


弱音(よわね ではなく じゃくおん)を甘く美しく繊細に響かせるには、ふにゃ〜っとしたタッチでは上手くいきません。

細心の注意を払い指先にかかる力や角度をコントロールしながら打鍵しないと音が大きくなってしまいます。間延びした、芯のない音になってしまうんですね。逆にびびりすぎると音が出ません。


これは以前師事していた、演奏家としても素晴らしく国際的なコンクールでの優勝経験もある先生がおっしゃっていたので、そういうものなんだと思います(雑ですいません)。

ちなみになんでそこまでガチ勢でもない私がそんな凄い先生に習っていたのかは謎なんですけど、都内でうろうろしているとこういう素敵なバグが時々起こります。なんかスイマセンという感じです。


戻ります。

このピアニシモの扱いかたって、自分の弱さとか柔らかさの扱いかたとよく似ているなあなんて思っていて。

なんか感性とか感受性の部分とかって、現代社会的には弱さに分類されたりするじゃないですか。

そういう部分を職業に活かすまではいかなくても、まあ生活に華を添える的な意味で生かして人生楽しもうってなったら、この自分のなかの弱さや柔らかさみたいなものを “潰してしまわない強さ” みたいなものが必要になってくるとおもうんです。


ピアニシモを 美しく響かせるのに指先の芯の強さが必要なように、自分のなかの繊細さみたいなものを生かすのにも心の芯の強さが要る。

(繊細さとか言うのもアレだなとは思うのですが、他になんて言ったらいいのかわからない)

それがないと感性なんていうぱっと見 不確かでしかなくて即金性のないものは、すぐに価値のないもののようにされてしまうから。


弱音(じゃくおん)のパッセージを美しく弾くってなにげにかなりの上級テクニックだと思うんですけど(ほんと難しい)、これが心の事とかありかたの事となると話はもっと厄介になってきます。

弱い自分を貫こうとすると、たとえば過剰な同調圧力とか世の中の正義とか正解みたいなものとの葛藤から自分を守らなければいけない場面が出てきたりする。

そんなとき、雑音に屈しない強さとか、他人や自分からのあらゆる否定の声にたいして開き直ることのできる強さというかテクニックが、自分の弱さや柔らかさみたいなものを守るためにすごく大切になってくるんだよなと思います。


社会では弱さや女々しさや子供っぽさと呼ばれるかもしれない自分の感受性を否定しない強さと、開き直る逆ギレ力(りょく)。

それが芯となってはじめて、繊細さや感性といったものを持った自分自身を(たとえばピアニッシモを甘くとろけるように美しく響かせるみたいに)上手に扱うことが出来るようになるのかな、なんてことを思いました。


逆ギレ力、だいじ。


以上、弱いものの美しさを表現するにはそれを守る強さ(自分を潰さない優しさ)が必要だよねって話でした。

なんかマッチョな感じですいません。

お付き合いどうもありがとうございました。


***

自分軸のつくりかた(優しい人用)

↑これ1年ちょい前に書いてたんだけど、この頃のがちゃんとしてたなあ。最近は更新するごとに雑になっていく気がします。。この時くらいちゃんとしたい気もするので毎日更新やめて丁寧に書こうか検討中であります。(毎日更新やめてたところで丁寧に書ける気はしないけど)


雑貨屋さんやってます。よかったら遊びにいらしてくださいな。




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