夢に向かって一直線な人はカッコいい。 自分の“なりたい”や“憧れ”になろうと、努力して、もがいている人間が1番輝いていると思う。 私もいつか、そうなれるのかな というか、確か、昔は私も輝いていた。 こんなふうになってしまったのはいつからだろうか。 小学校の卒業文集では「プロにチアリーダーになる」ということを夢に掲げていた。「元気・勇気・笑顔」を合言葉にがむしゃらに踊っていたあの頃は幸せだったなあ。踊るのも大好きで、その踊りで誰かに希望や勇気を与えられるからプロになりたいと
灰色に染まっていたわたしの学校生活は、この1年でとてもカラフルになった。 大学生になるということ、何も期待してはいなかった、どうせ、また上辺だけの人付き合い、愛想を振り撒く日々、鬱々、という感じだと思っていた。 でも、すごく大切な人ができた。ひとりだけね。キラキラしてしまうくらい、世界がひっくり返った。 だから最近は生活に色がある。からふる! この幸せな今を楽しまないと思いつつ、灰色にまた戻ってしまう日々が怖くて不安も募る。 人間ってむずかしい。きょうは考えるのやめよ
空を見上げたときになにを思うか。 心が元気な時は、空を見上げた時、その広大な美しさだとか、繊細な雲の動きだとか、そんな素敵なことばかりを考える。 でも、ここ最近は違う。空を見上げても、今まで感じていたはずの素敵な感情が消えてしまった。広大な空に圧倒されてしまい、ちっぽけな自分に嫌気がさす。こんなにも広い世界からしたら、私の辛さや苦しさなんて、しょうもないものだなと自信がなくなる、そしてバカらしくなる。 私は最近、なんとなく心が閉じている気がする。基本的には何に対してもニ
6時間くらい前から、味わったことのない腹痛に襲われている。薬も珍しく飲んだのにな。 くるしいし、いたいし、しんどいし、つらいし、さみしい。ここさいきん、すごく孤独だ。 2週間ほど、海外をひとりで旅していた。わたしにとっては育った場所のひとつで、たぶん大切な思い出がたくさんあった場所なのだと思う。あまり覚えてはないけどね。 たった3年間程度住んでいた国。それも10年以上前。それでも頼れる人たちがいて、泊めてくれるお家が3軒もあって。まだ縁が続いてるの、すごく素敵だなって。
わたしには「あこがれのひと」がいる。 彼女は、いつもキラキラしていて、人生がものすごく楽しそうで、すごく華やかにみえる。 でも、人生最高、順風満帆にみえる彼女の裏側には、普段の笑顔からは想像できない過去がある。 初対面で会ったとしても、脳天気にみえる彼女は全く苦労人には見えない。それでもたくさん苦労していて、幾つもの山を乗り越えてきている。 わたしはそんな彼女に小さい頃からずっと憧れている。 そして、もうすぐ私は20になるのだが、ようやく最近気づいたことがある。
素敵な映画を4本観た。 誰かが夢に向かって頑張る姿とか、誰かを想って起こした行動とか、愛が繋ぐ奇跡とか、諦めない気持ちとか、大切なものがたくさん詰まっていて、おわったあと自分の大切なものをすべて抱きしめたくなるような、そんなあたたかい気持ちになる話ばかりだった。 自分の大切なものを見失った時や、悲しくなってしまったときに、また見返そうと思う。
たまたま、Xで「不要ペット回収車」という犬猫引き取りサービスに関する動画が流れてきて、みてしまった。そして案の定、眠れなくなった。 怒り、悲しみ、表現しきれないような負の感情に襲われている。苦しすぎる。 世の中には身勝手な人が多すぎる。最後まで面倒を見れないのなら、いっときの感情で飼うなんてことしないでほしい。犬、猫、含め動物はカワイイ。そんなの当たり前。でも彼らは言葉は発せずとも、命を宿してる、生きてる、人間となんら変わらないとわたしは思う。かけがえのない命を捨てたりで
また1から。 文章というものは書かないと衰えていくので、noteを再インストールした。 前まで使用していたアカウントの名前を忘れてしまった。高校3年間のいろいろなことを書いていたので、なんだか少し寂しい気もする。どうせ、また厨二病くさいアカウント名だったはずだ。 あの頃は、週に2、3回、心が病んでしまった時は毎日、こうやってここに文章を綴っていた。別に友達には見られたくないし、かといって自分の中で消化できないような感情を書き出すのに此の場所はちょうどいい。 別に特に意