あこがれのひと

わたしには「あこがれのひと」がいる。

彼女は、いつもキラキラしていて、人生がものすごく楽しそうで、すごく華やかにみえる。

でも、人生最高、順風満帆にみえる彼女の裏側には、普段の笑顔からは想像できない過去がある。

初対面で会ったとしても、脳天気にみえる彼女は全く苦労人には見えない。それでもたくさん苦労していて、幾つもの山を乗り越えてきている。

わたしはそんな彼女に小さい頃からずっと憧れている。

そして、もうすぐ私は20になるのだが、ようやく最近気づいたことがある。

彼女は、1番大切なもののために、全てを乗り越えてきたということ。そして、それが「子供たち」であること。つまり、「私たち」だ。

私には、3つ下の弟がいる。そして、私たち2人を1人で育ててくれたのが「あこがれの彼女」、そう「母」である。

母親は、大切なものを守るためにはなんだってする。1日中働いて、家事も全てこなし、なにもしない私たちの面倒をみてくれた。生活には困ったことがなかったし、なんなら習い事もたくさんさせてもらった、海外旅行にもたくさん行ったし、海外にだって住んだ。ほんとうに一度だって貧乏だと思った経験はない。でも、それって、すごいことだったのだなと今更思う。他の家は、生計維持者が2人いて、お父さんのほうがお金を大体稼いでいる。母の給料はおそらく、男性の平均年収でも1番低いくらいだと思う。私には父親がいた記憶がないし、ずっと家族3人だったため、疑問に思ったことがなかった。でも、今考えてみれば、母親が贅沢をしているところなんて見たことがないし、自分のために買い物をしたりしているところはほとんど見たことがない。物は大切にするし、「大学生の頃からこれ使ってるんだよね〜」なんて言葉はよく聞いていたし、今でも聞く。母親曰く、いい物は物持ちがいいから、大学生の頃に買ってもらったものを今でも大切に使っているらしい。でも、ほんとうは欲しいもの、たくさんあるはずだ。ずっと我慢してきたんだと思う。

実は、ずっと1人だった母親が、再婚したことがあった。それも弟が「お父さんほしい」と言い放った言葉がきっかけであった。おそらく小学生だった弟は、友達がパパと遊ぶ話などをしているのを聞いて、そう思ったのだと思う。それをきっかけに母親は婚活を本格的にして、結婚をした。弟は大喜びだった。4人で動物園に出かけたり、ウエディングフォトはハワイまで撮りに行ったし、まるで家族のようなことを沢山した。大好きな動物もまた飼うことができたし、わたしが高校生で1番お金のかかる時期にたくさん援助をしてもらった。しかし、彼はあまりにもヤバい人だった。母親は、弱ってしまい、病みまくっていた。高校生になった私に、母親は弱音を吐いてくれるようになった。すごく嬉しかった。弱音や相談を聞くようになってから、母親の頭の中には私たちのことしかなくて、自分の体なんて全く気を遣ってもなくて、すごく申し訳なくなったし、本当に尊敬するようになった。ただ、もう関係を再構築するのは不可能なところまできていた。

そして、今年ついに離婚を果たし、清々しそうにしている。別に父親がいなくたって、何も変わらない、正直少しくらい変化があるかと思っていたのだが、ほんとうに何も変化がない。むしろ、母親が笑顔をちゃんと取り戻して、家の中がハッピーな空気になっている。

また1人になったにも関わらず、弟をイギリスへ、私をオーストラリアへとそれぞれ2週間送り出した。母親は、少し大胆なところがある。これだけ大切にしてくれる割には過保護にされたことはない。信用してくれているし、やりたいことはやらせてくれるし、常に応援し、支援をしてくれる。
そんなところもすごく尊敬するところだ。

自分が我慢し、完全に子供を優先する。かっこよくて、強くて、たくましい「母親」である。

今度は私がお返しをする番だ。バイトも始め、最近は自分のお金は自分で払うようにしている。家事も手伝うようになった。これからはご飯も頑張りたいと思う。

今更、母親の偉大さに気がついた。遅くなったが、最大限の親孝行をしたいと思っている。

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