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ねむれない 

たまたま、Xで「不要ペット回収車」という犬猫引き取りサービスに関する動画が流れてきて、みてしまった。そして案の定、眠れなくなった。

怒り、悲しみ、表現しきれないような負の感情に襲われている。苦しすぎる。

世の中には身勝手な人が多すぎる。最後まで面倒を見れないのなら、いっときの感情で飼うなんてことしないでほしい。犬、猫、含め動物はカワイイ。そんなの当たり前。でも彼らは言葉は発せずとも、命を宿してる、生きてる、人間となんら変わらないとわたしは思う。かけがえのない命を捨てたりできる人の神経がほんとうに理解できなくて苦しい。

「餌をあげたら、寄りつくようになった」「野良を引き取ったら、子供を産んでしまって面倒が見れなくなった」「病気になったので、もう面倒が見れない」「介護ができない」「飼う余裕がなくなった」どれも身勝手な理由ばかり。

家族が病気になったら捨てるの?捨てないでしょ。9年間一緒にいたワンちゃんを託した家庭まであった。9年間だよ、9年間ってそんな軽いものじゃないでしょ。9年間、一緒にいた家族同然の子を託す。その家庭なりに事情はあったのかもしれない。それでも他に方法はなかったのか。知り合いに片っ端から連絡をするとか、だって、ここに託した場合の行き先は分かっているでしょ。本当に理解に苦しむ。

さらに別の方は、記者に、「この子がどうなるか分かりますか」と聞かれ、「知らない、殺処分になるのか、動物のエサになるのか」というようなことを言っていた。考えられない。動物のエサになるとしても、預けてしまうんだ、普通に絶望してしまった。

飼い主のことを信じていた子たちの目は切なくて、悲しそうで、辛くなった。引き取られた子たちの猶予は1週間。苦しいなあ。未来があったはずが、いきなり期限がつけられてしまうんだから。

わたしはいま物凄い怒りに支配されているが、それと同時に、すごく感謝、そして尊敬もしている。

小学生のときに出会った本がある。今西乃子さん、「犬たちをおくる日」。愛媛県動物愛護センターを取材し、犬たちの命を救うため、日々奮闘する職員の日常を追った作品だった。この本に出会ったときが、「命の授業」で作者である今西さんが、わたしの小学校へ来校して講演をしてくださった時期と偶然重なった。この本を読み、そして講演を聴き、小学生だった私の夢は動物愛護センターの職員になった。

わたしは犬や猫の命を1匹でも多く救いたい。だから動物愛護センターの職員になろう。本気でそう思っていた。そして、仕事研究の授業があり、小学4年生のとき、動物愛護センターを何件か周り、職員の方々にお話を聞いた。わたしには耐えられなかった。いくら救いたいと思っても、結局は救われる数より失われる数が圧倒的に多い現場。子供だったわたしは、頑張って働けば、みんな救われる!だなんて甘い幻想をいだいていた。ショックだった。わたしにはできないとおもった。施設に来た子達を、1日ずつ猶予が近づく子達を、見届けることなんてできない。そう思ってしまって、そこで夢を追うのはやめてしまった。

だから、感謝というのは、不要ペット回収車だったり、動物愛護センターなどの職員の方々に向けたものだ。

先ほどの動画でも、31年目にもなる職員の方が、どうしようもない怒りをぶつけていた、そして「少しでも最後、いい環境にいさせてあげられるように毎日掃除をしている」と話していた。きっと、あの人はすごく強い人だ。職業上、動物が好きな人じゃないとやらない仕事だと思う。でも見届ける死があまりにも多すぎる。

わたしは自分が動物を好きすぎるが故、働くことを諦めてしまった。一方で、好きだからこそ最後まできちんと見届けたい、できることならば新しい飼い主に引き取ってもらいたい、とその思いで活動してる人たちが世の中には沢山いる。とても尊敬しているし、感謝している。

まず「不要ペット回収車」や動物愛護センターなどは、飼い主がきちんと面倒をみることができれば最低限の数で済む施設だ。人間が利己的に飼い始めたくせに、利己的に捨てるのは如何なものかと思う。

長々と綴ってしまったが、少しでも失われる命が減り、飼い主と幸せな時間を過ごせる動物が増えればいいと思う。そして、誰よりも動物が好きで、働いてる愛護センターの職員の方々が見届ける命の数が減っていきますように。

この命、灰になるために生まれてきたんじゃない

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