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シゲルの柿の木

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YouTubeに朗読をアップしました。
https://youtu.be/mnKhDoCy74I
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僕はその年、母方の祖母の家に来ていた。
夏休みの間、祖母の田舎の家に預けられた。
よくわからないけど父も母も仕事で忙しいらしい。
祖母の家に預けられる事は以前にもよくあったが、
そのたびに僕は親に捨てられたような気がしていた。

ゲームもないしインターネットもできないこの家は、
僕にとってとても退屈だった。
早く夏休みが終わればいいなと思っていた。

祖母の家の庭はとても広く、
どこからが祖母の家の敷地なのか境界線がよくわからない。
なので時々人が迷い込んでくることがある。

ある日の夕方、また人が迷い込んできた。
年頃は僕と同じ位で、坊主頭の男の子だ。
横に大きく広がった柿の木の下にしゃがみ込んでいた。
僕は男の子に近寄り声をかけてみた。

「どうしたの?」
男の子ははっと身構え、とても驚いた表情で僕を見た。
「君は誰?」
男の子が僕に聞いてきた。
それはこっちのセリフだよ。

「僕はこの家の子だよ。君は?」
「シゲル」
なんだか古風な名前だと思った。
少なくとも僕の同級生にシゲルと言う名の子供はいない。

「シゲル君は何をしているの?」
「子犬と遊んでたんだよ」
子犬?
さっきから見ていたけど子犬なんていなかったはずだ。
「ああ、今はいないよ。死んじゃったから」
言っている意味がよくわからなかったけど、
僕はなんとなくその言葉を流した。

「この家にはいつからいるの?」
今度はシゲルが聞いてきた。
「先週からだよ。夏休みの間ここにいるんだ」
シゲルの表情が少し明るくなった。
「そうなんだ。じゃぁ明日もここにいる?」
「うんいるよ」
シゲルは全身をバタバタさせながら喜んでいた。
喜びの表現が、とても幼い気がした。

「僕と遊ぼう!明日いいところに連れてってあげる。」
僕はシゲルの勢いに押されてうんと言ってしまった。
こうして僕らは夏休みの間、毎日遊ぶようになった。

カブトムシがたくさんいる山やザリガニがとれる沼。
アケビを食べたり笹舟レースをしたり、
僕の知らない遊びをたくさん知ってるシゲルを尊敬した。

シゲルはいつも僕にアドバイスをくれるだけで
カブトムシもザリガニも僕が捕まえていた。
まるで指導者と生徒みたいな関係で、
それはそれで楽しかった。

田舎の遊びを初めて体験した僕にとって
とても刺激的な夏休みだった。

もうすぐ夏休みが終わるその日、僕はシゲルに言った。
「明日親が迎えに来るんだ」
シゲルは寂しそうに「そっか」と言い、
最後に付き合って欲しいところがあると言った。
僕はもちろんOKした。
シゲルと最後に遊ぶこの一日を楽しもうと思った。

そこは祖母の家からそんなに離れていない廃屋だった。
竹で作られた門は壊れて、クズのツルが絡み付いていた。
玄関を入ってすぐの茶の間には、
食事の途中だったような痕跡があった。
まるで夜逃げでもしたみたいだ。

「僕と犬の三郎は友達だったんだ」

シゲルは言った。
犬?
そういえば最初に出会った日も犬らしいものと遊んでたっけ。
襖を開けるとひどく荒れた居間が現れた。
カーテンはビリビリに破け、
ブラウン管のテレビは割れて、破片が辺りに飛び散っている。

廊下の途中にある風呂場を覗いた。
黒い埃が鱗のように壁や浴槽に模様を付けている。

「ここで三郎は死んでたんだ」
「弟に殺されたんだ」

陽気なシゲルの口から出る物騒な言葉にギョッとした。

「だから三郎を柿の木の下に埋めた」
「僕の家の?」
「うん」

シゲルは廊下の奥の子供部屋に入った。

「弟はいつも暴れてた」

シゲルの声はいつもより低く小さい。
一言一言を絞り出すように話している。

「シゲルの家族は今どこにいるの」

聞いてはいけない気がしたけど、
聞かずにはいられなかった。

「みんな殺した」

シゲルの足元に金属バットが転がっていた。
どす黒いシミのついた金属バットだ。

「まずは父さんと母さんから」

シゲルはバットを拾うフリをした。

「自分たちだけいつも美味しそうなご飯を食べてたから」
シゲルはチャンバラのような構えでバットを振り回すフリをした。

「そして次は弟だ」

シゲルはバットを投げ捨てるフリをして
机の引き出しを指さした。

「弟を殺してアレを隠した」

シゲルは椅子の後ろで被り下ろすような仕草をした。

「引き出しを開けてみて」
「い、嫌だよ」

僕は震えていた。
恐怖で一歩も動けなかった。

「頼むよ、僕は触れないんだ」

震える足を引き摺りながら机の前に立ち、
引き出しを開けた。
真っ黒に錆びた包丁が入っていた。

次に目を覚ましたのは柿の木の下だった。
僕は「シゲル…シゲル…」とうわ言を言っていたらしい。
祖母は「連れて行くな!シゲル!」と泣き叫んでいた。

あの夏休みから何年も経ち、
僕はやっと母から真実を知らされた。
シゲルの弟は知的障害を持っていたらしい。
そして親はネグレストで、
弟の世話はシゲルに押し付けていた。

シゲルは学校にも行けず、まともな食事も与えられず、
祖母が時々、家に招いておにぎりを食べさせていたらしい。
シゲルの唯一の友達は、拾った子犬だけだった。

「ここからは憶測らしいけど、多分合っていると思う」
と、母は続けた。
ある日、シゲルの弟が子犬を
風呂の水に浸けて殺してしまったらしい。

シゲルはその光景に絶望したのだろう。
まず食事中の両親にバットで殴りかかった。
そして両親を殺した後、
台所の包丁を持って弟を刺し殺した。
両親の殴打の数や弟の刺し傷は凄まじかったらしい。

シゲルは子犬を柿の木の下に埋めて、
自分も柿の木の上で首を吊ったそうだ。

祖母や近所の人がシゲルの家に行き
惨状を目の当たりにした時、
祖母が言ったんだそうな。
このままじゃシゲルが可哀想だと。

ネグレストを受けている事は皆が知っていた。
しかしこの惨状だけを見ると、
シゲルがひとり、ヒステリーを起こして
一家を惨殺して、自殺した事件だと皆に記憶されてしまう。

祖母たちはシゲルを含む四人の遺体を
全て柿の木の下に埋めて隠匿した。
だから今でもこれは事件になっていない。
夜逃げして行方不明になった一家だと言われてる。

そして柿の木はあれから一度も実を付けないらしい。
シゲルはずっとあの柿の木の下で
誰かに見つけて欲しかったんだと思う。
シゲルは僕にしか見えなかったんだろう。
だから声をかけたとき、あんなに驚いて
そして嬉しそうに笑ったんだろう。

僕はもうすぐ大学を卒業する。
就職する前にもう一度、シゲルに会いに行こうと思う。

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