適応障害だった頃の自分へ


適応障害だと診断された頃の自分へ、

診断される前の憂鬱で仕方がなかった自分へ。


今もなお、適応障害で苦しんでいるどこかの誰かへ。

そう診断されているわけじゃないけれど、

とにかく毎日が憂鬱で、辛くて、しんどい人へ。


そんな深く、終わりのない暗闇から抜け出した今の自分から、伝えたいこと。




適応障害だと診断されたのが去年の9月。

症状がピークで酷かったのは、7月8月だった。

食欲は沸かないし、食べようとしても吐き気が催したり。仕事から帰ったあとや毎晩寝る前に涙が止まらなかったり。なんで生きてるんだろう、死にたいなんて日常的に考えていたり。

手や足に全く力が入らなくなったり。手が震えてパソコンの入力さえまともに出来なかったり。頭痛が飽きもせずやってきて、頭痛薬を毎日飲んでいたり。目には光がなかったり。友だちと会うのも怖くなって。わたしなんかの話を聞いて面白いんだろうか、なんて考えたり。


とにかく、毎日しんどくて、辛くて、泣いていて、未来に希望なんてなくて、過去に恨みしかなくて、自分のことが大嫌いで。

そんな日々を過ごしてた。

思考がどんどんおかしくなっていっていたけど、それにさえ気づかなくて。自分はまともなんだと信じてて。診断結果を先生に言われたときも、大袈裟だな。なんて思ってて。

症状を改善するには、ストレスの大元を無くして自分の心を変えること。なんて言われたけど、ずっとこのまま症状が続けば全て症状のせいにできる、と当時は考えてた。

「自分の日々の生活がうまくいかないのも、仕事が嫌いなのも、職場が嫌なのも、全部その症状のせいにしよう。そうすれば何も考えなくていい。考えなくていいから楽だ。」


仕事を休んでくださいと、先生に言われても、本当は休むことを望んでいるのに、「仕事がたくさんあるから、忙しくなるから」なんて理由をつけてそれはできないと答えて。まるで、自分はこんなにしんどいのに頑張っているんですよ、なんてアピールをしているかのよう。

そんな時に1冊の本を本棚から取り出して読み直してみたら

『忙しい人生は嫌い。あたしは誰かに求められていないと自分の存在価値が認識できない人じゃないから。超ヒマな毎日でも、十分に生きる意味も生きる意義も感じられる』

という言葉に出会った。

わたしはこの言葉と正反対だった。「忙しいっていうことは、自分が誰かから求められている」って。わたしは求められることを生きがいにしてたんだなって。自分で自分のことを蔑ろにしていたのに、他人には自分を求めてほしいって思ってたんだって。気づくことができた。


そしたら、このまま楽な道に行こうとしている自分がすごくいやになって。

違和感を持ちながら働いて、その仕事のことを好きにもなれなくて、職場の人のことを悪く言って。働く職場を変えたいなんて思いがあるくせに、このまま無心で働けば給料だって悪いわけじゃないし、また就活の時みたいに職探しで辛い思いしなくて済むし。なんて、考えていたり。

もうなんか、すべて、いやになった。その思考が。自分の思考が。

#適応障害です #適応障害だから働くことに向いていません

そんな風に言ってしまえば楽なんです。

人それぞれ、つらい現状がある原因や理由は違う。

だけど、その現状をずっと続けるか、それとも抜け出して別の道へ進むか、それしか答えはないです。

わたしははじめ、その現状を続ける選択をした。

ふざけんな、職場のせいだ、スタッフのせいだ…そう言って怒りのエネルギーを作って、自分の内側にそのエネルギーを貯めていた。

それで、しだいに自分の思考に嫌気がさして、怒りのエネルギーを消し去りたくなった。怒りのエネルギーがとても無意味なものに思えた。

そこで、とにかく、自分と向き合おうと決めた。それが一番、今の自分には必要だと思った。

休みをいただいて、その間に1週間一人旅に出た。そのうちの4日間は自然の中で、デジタルから離れて生活した。自分の内側の、心の声を聞き取ろうとした。

それから自分の心はどんどん、生まれ変わったような気がする。

辞める辞めるなんて言いつつ、やめてなかった仕事もすっぱり辞める決意ができた。次の仕事はどうしようなんてネガティブな思考はその時にはなかった。自分がそこにいて、ハッピーになれない場所からは離れようと決めた。人のことを悪く思うのって、すっごくエネルギーがいるし、疲れる。それがどんどんストレスの引き金になる。そんなのからはもう離れたかった。

自分が心地いいと思える場所で、心地いいと思えるひとたちと、暖かい場所で、ハッピーになりたいって思った。


スタッフの方にも一人ずつ手紙を書いて無事仕事を退職した。「なんだかんだと辛いことはあったけど、その分成長できた、自分が変わるきっかけになった。ありがとうございました」そんな風に、ネガティブじゃなく、ポジティブに仕事を辞めれた。

今は、実家暮らしの恩恵を存分に受けとって、ゆっくりする時間を作ってる。毎日本を読んで、紅茶やハーブティを淹れて、その美味しさに感動したり。小さなことに幸せだと思えるような日々を送ってる。死にたい、生きたくない、自分が生きてる理由がわからない、将来が不安だ、先が見えない…なんて思ってたころの自分と120%違うと断言できる。

もうわたしはそんな風に思わないし、将来が不安にもならない。期待しかない。

心理学者の河合隼雄さんが、ある本で

『自分と向き合う、それだけでじゅうぶん苦しかったり辛かったり嫌だったりするわけ。自分と向き合う作業は、人間にとって必要なんです。必要というか、せっかく生まれてきたんだから、自分は他のどこにもいないし、おそらくまあ、世界にひとりでしょう。しかもどうせ死ぬわけだから。その間くらいは自分を大事にしないと』

とおっしゃっていた。


自分と向き合うのは本当に苦しいんです。苦しかった。過去の自分とも見つめ合わなきゃいけないし。


でも、それを乗り越えた今、あの頃想像してなかったほど、自分が満たされているんです。



だからもし、辛くて苦しくて暗闇にいたわたしと同じように今を生きてる人がいたら、まずは自分と向き合ってみてほしい。まっさらなメモ帳や紙切れを用意して、自分と対話をしてみてほしい。心の中でするのもいいけど、余裕があれば手を動かしてみて欲しい。

わたしがすきなものって?嫌いなものって?心が躍ることや、ときめくことは?

なんで憂鬱になったんだっけ、その憂鬱が加速しているのはなんでだろう、それはどうしたら解決できるんだろう、、、

対話を始めると、どんどん自分のことを知れる感覚がある。

そしてもし時間があるなら、自然の中で過ごしてみてほしい。

正直、旅に出るまえに「これを考えよう、あれを考えよう」なんて思っていたけど、自然の中にいると、そんなこと全部忘れちゃった。自然を5感で感じて、大地を踏みしめて、それだけで精一杯だった。何も考えれなかった。ただ、いま世界一幸せだなって、今まで頑張ってよかったな、お疲れ様自分、よく頑張ったよね、もう少し生きてみようって、思えたの。自分のことを素直に認めることができた。

すると、ぐちゃぐちゃだった思考が糸がするするとほどけるように、思考も綺麗になっていった。そこからもっと、前向きに自分のことを知ろうと思えて、自分のことを愛せるようになった。他人のことがどうでもよくなった。わたしが心地よく思える選択ができるようになった。

卑下しがちだった自分の思考が、どんどん変わっていってる。「わたしなんて…」て言葉はもう、封印。使う日が来ないように、厳重にね。

「あいつのせいで…」っていう、人のせいにする言葉も、封印。怒りのエネルギーは、わたしに何の幸福ももたらしてくれないことを知ったから。

「あなたなんかが…」なんて、人の可能性を潰す言葉も、封印。


人生は思い込みでできてるんだって、実感した。

「仕事のせいで」「わたしなんか、こんな仕事しかできない」なんて、そんな思い込みをするなら、もっと幸せになることを思い込みたい。


暗い暗い、どんよりした暗闇にいても、そこから自分を救い出してくれるのは他人でなく自分しかいないから。

たとえ誰かが手を差し伸べてくれたとしても、その手を受け取るかどうか決めるのは自分自身だから。

人生の大事な時間を暗闇で消耗したくないなら、手が差し伸べられるのを待っているより、まず自分で自分の足を動かしてみよう。

進んでいる実感があまりなくても、諦めないで。後ろは振り向かないで。そうすると、気付いたら、目の前に光が差し込んでくるから。そしたらもう、ダッシュするだけ。その光に向かって。


わたしはもう、適応障害ではないと思ってます。

診断されたわけではないけど、病院にいくと、どうしてもネガティブ思考が出てきてしまうからあまり行きたくないんです。

診断してくれたのは先生だけど、自分を救ったのは先生でも薬でもないから。

病院に行ってもハッピーな気持ちにはなれないから。


心理的な精神的な病気は、簡単に治そうと思って治るものではないです。

そして、目には見えない病気は、他人に気づかれることもない。

すごく辛いんですよね、辛かった。

死んだ方がましじゃないか、とも思った。

でもそんなこと本心では思ってなかったから。

今、必死に生きてる自分を、精一杯愛して生きて行こうって、そう思える自分になれたことがすごく嬉しい。


どうせ生きるなら、楽しく生きていたいじゃないですか。

幸せを感じたいじゃないですか。


だからもし、これを読んでくれた人が暗闇にいるのなら、まずは試してみてほしい。

自分と向き合って、自分を愛する。

この2ステップで、全く別の世界が広がるかもしれないから。


暗闇に引き摺り込まれていたあの頃より、

わたしは今のほうがとっても幸せで、抜け出してよかったと心から思ってる。

ひとりでも多くの人が、暗闇から抜け出すことを祈ってます。






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