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勉強を嫌いになった自分が、勉強を好きになった話。

高校時代、国語が嫌いだった。


物語と無関係の作問者。なぜ作者や登場人物の心情を、彼らが勝手に決めて良いのだろう。

教師用の解説付テキストも買ったけど、解説通りに発想できない。納得がいかない。本文も問題文もしっかり読めるのに、いつも正解が分からない。


数学も同じ。

限られたスペースに、味気ない解説。そぎおとされた部分が知りたいのに。

何を言っているのか、何をしたいのか全く分からず、抵抗する気力さえ残されていない。コンピューターにできることを、人が習う意味ってある?


そんなわけで、国語も数学も嫌いだったわけだけど。


英語よりはマシ。僕は英語が心底嫌いだった。


小学生の時に通っていた公文式。

周りの皆が知らない英語という科目。五年生の時には、パズルを解くように中学三年分を終えた。緊張しながら受けた英検。自信だけが膨らんでいく。

中学校の英語授業は、落書きの時間だった。何もしなくても分かる自分。努力の貯金を浪費して、悦に入った。


中学最後の春休み。

二回目の受験も、呆気なく第一志望校への切符を手にした。受験を制した仲間とディズニーランドへの遠征。田舎の中学生に拓けた明るく楽しい薔薇色の未来。校庭の桜は満開だ。


「はい、これ宿題。」

家に帰る度、わら半紙のプリントに印刷された大量の課題がそう言っているようで、めまいがした。

5500ある単語帳、文法書、熟語やイディオムの本。試しに開いても、SVOCとか、自動詞・他なんて全然腑に落ちない。こんなに覚えるの?春休みに?

あんなにできたはずの、できない自分。心底腹が立ったけど、勉強する気にだけはならなかった。「桜は散り際が美しい」というけれど、醜い怠惰な生き物には信じられなかった。


入学後。立派な紙の辞書をハードカバーから出して、積み上げて、寝る。宿題の回答を指名されないかドギマギする。授業が憂鬱で仕方ない。夕方の部活と初めてできた彼女とのメール。高校時代の幸せの全てだ。

それで、浪人した。


「勉強してないんだから、当たり前じゃん。」

今ならそう認められるけれど、当時はショックを引きずった。跳ばなくてもハードルは避けてくれる。そんな現実逃避の末に負った大ケガ。その痛みと悔しさが、今に続く、自分のスタートライン。


一年間。要領が悪いなりに頑張った。『単語王』の著者、中澤一先生のもとで「やった分だけできる」という至極当たり前の成功哲学を身体に馴染ませていった。単語も文法もどんどん覚え、模試の判定も少しずつ良くなって、学ぶことの楽しさを知った。



それでも。

結局、第一志望校には受からなかった。受験に過程は無い。その事実を、戸惑いながら受け入れた。初めて入る滑り止めの学校。僕を受け入れてくれた場所で頑張ろうと思えた。


大学では、授業の前後で予習・復習をした。一足早く合格した友人達とは、随分異なる大学デビュー。

本も買って読んだ。初年度の成績は、所得制限がなければ返済不要の奨学金が貰えるくらいの、つまりは優等生だった。両親の喜ぶ顔、学業で見たのはいつぶりだろう。


「あの頃に戻りたいね。」

30過ぎると、会話のなかで昔を懐かしむ機会が増える。

もし。今のように、「何かを前向きに学べる状態」で、あの満開の桜の木の下に戻れたら、どんな未来が待っていただろう。そんなことを考えなくもない。


けれど。

もし順風満帆な高校生活をおくってしまっていたら。大学か、もっと先のどこかで大切な何かを見失っていたような気がする。それならば、早い方が良い。



一見無関係な点も、いつかそれぞれにつながりあって線を作る。

あの、勉強嫌いのどん底の、苦しい時に垂れた点達に感謝して、明日も楽しく学ぶことにしよう。

歳も季節も違うけれど、あの木の下に、僕は今立っている。

21.01.11 追記

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