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映画との距離感の話

先日、フェリーニについての長い記事を書いた。その日はフェリーニの誕生日だったし、フェリーニが大好きだから書いた。
もちろん映画が大好きだからというのもある。
きょうは、最近の映画と自分の距離感について、短い自分語りをすることにする。

映画が大好きで、まあまあ観る。映画館にもそこそこ行く。
プロフィールにも書いたが、2021年は236本、2020年は239本観た。
(以下、別途説明がない限り、同じ作品の複数回鑑賞は1本でカウント)
本数がすべてではないが、今年は、ペースを落として、年間150本くらいにしようと思った。
理由はシンプルで、映画以外のことにもっと時間を割きたい(し、割く必要がある)と考えたからだ。
年始にも同じ内容をTwitterでつぶやいていた(笑)

よく、自虐として、「映画ばかり観てないで現実見ろ」と自分に言ってきた。
現実がつらいから、できるだけ向き合うようにはしつつも、向き合いたくない気持ちも強い。映画鑑賞にハマるのもその顕れではないかと。
もちろん、観ていてつらくなる「現実」を描いた映画もある。
しかし、極論を言えば、映画であれば「まあ映画だしな」で終わらせることができる。

この今の自分の体たらくも、自分が直面している現実とまともに向き合わなかった結果なのではないか?

その真偽はともかく、いずれにせよ現在自分は病み上がりの無職である。
生活を立て直すために仕事探しや勉強や健康作りなど、もろもろやらねばならない。
しかも、半分事故みたいな感じでちょっとした揉め事に煩わされてもいる。
悩みながらあれこれしているうちに毎日一瞬で終わるし、下手したら、会社員時代よりやることがある説すらある。
また、Twitterに書いたように、映画以外の趣味とか体験とかにもう少し時間を割きたいというのもある。

というわけで、今年は、例年多くの時間を注いでいる映画鑑賞を抑えめにしようと思った。
ところが、気づけばすでに本日1月25日時点で17本を観ている。明日も映画館に観に行く予定だ。

「気づけば」というのがポイントである。
「今年は観る本数を減らそう」と意識したつもりが、無理をせず自然とそこそこの本数を観ていたのである(あくまで自分基準でのお話。業界人でないのに年500本とか観てる人、本当すごいよな〜どうやってるんだろ)
かといって、映画以外のことがおざなりになっている感じもない。
現実も、痛いほど見ているし。
ここでひとつ言えるのは、現実を見ても見ていなくても、
働いていても無職でも、映画鑑賞は、やっぱり楽しい。
(病気がアレなときは映画を観られなくなり本当にビビった。健康第一はガチ)

無職は比較的時間の融通が利くから、マイペースにより多くの作品を観やすいというのはあるだろう。
しかし、本数だけで言えば、働いていた2021年は1月25日時点で25本観ていた。なんかハイペースだな。同じく働いていた2020年は14本。まあこれはわかる。
昨年は一年中加入していたU-NEXTも今月は加入していない。それでももう17本を観ている。
試しに鑑賞方法を分類してみたら、映画館で10本、Amazon Prime Videoで1本、テレビで2本、ブルーレイで5本だった(合計が18で一致しないのは、『アメリカン・ユートピア 』を映画館で1回、ブルーレイで1回(正確には複数回だが)観たため)
そのうちAmazon Prime Videoとテレビの3本は仲間たちとのオンライン上映会で観た。
余談だが、上映会をすると、なかなか自発的には観ない映画や、内容を忘れかけている往年の名作を観返すことができありがたい。詳しい人の解説を聞けるのもよい(先日は皆で『ファンタビ』の2作目を観たが、『ファンタビ』1作目の記憶がだいぶ薄れてしまった&『ハリポタ』(映画)も2作目で挫折した自分としては、解説を聞きながら観ることができ大変ありがたかった)

話が脱線したので話を戻すが、いま、自分は、無理をせず自然な感じでいいペースで映画を鑑賞できている。
この状態に対して、すごくざっくりと書くと、いま自分は映画とちょうどいい距離感で接することができているのではないか?と感じる。
こんな感じで、映画に限らず、他の趣味でも仕事でも人生でも、色々なものごとを、自然に、無理なく、そして楽しく、まわしたい。

おわり

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