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#30.よく生きるために

人間はなぜ生きるのか。答えのわからない永遠のテーマ。おそらく解は人の数だけあるのだろう。


前回
【長生き地獄】著:松原惇子
を読み長生きすることはいいことばかりではないことを知った。良ければそちらも一度目を通して頂きたい。


『長寿』読んで字のごとく、長生きを祝うこと。一昔前までは感染症や飢饉などからそもそも長生きすることが難しい時代があった。この頃からしたら60歳まで生きることは難しいことであり、祝いの対象であった。

しかし現代はどうだろうか?飽食の時代であり飢えで死ぬことはほとんどない。医療の進歩で死に至る病も減ってきている。平均寿命は女性に至っては86歳を超えるまでになってきている。

昔は憧れであった長寿が今では当たり前となりつつある。この当たり前にみんなが年をとれる環境においてただ年をとるだけでなく、健康でありつつ年をとる『健康寿命』がとりただされることも増えた。しかし、人は老いる。どんなに健康な方でも老いには勝てない。

健康なままポックリと死ぬことができれば理想だが死に方は選べない。関節が痛み、身体も言うことを聞かない。内臓機能も弱り好きなものも食べれない。老いは確実に豊かな生活を蝕んでいく。

さて、おどろおどろしい内容が続いてしまったが表題の通り、どうすれば老いを受け入れることができるのか。答えはそんなものはないということ。えーっ!ここまで読んできてそれが答え?!となるかもしれないが、実際そうだと感じたのだから仕方ない。人は絶対に死ぬ。これは逃れられない事実。あとはこの絶対に訪れる死をどう迎えたいかを自分に問いただすしかない。

老化し、体が不自由でつらいな、もう早く死にたいなと思いながら生きるもその方の自由。思うように身体も動かないけど、最後の時まで笑っていようと思うのも自由。ようはその人の考え方次第。それ以外に道はない。

つまり、最後のその時になるまで自分がどういう心境になるのかはわからない。わからないものを考えていてもしょうがない。どうせいつかは必ずくる死期なのだからその時までは今自由に動けることに感謝しよう。今を精一杯生きようというよくある話に結びつく。

しかし、いま元気な方はこの考え方で良いが、すでに不自由を強いられている方は今を精一杯感謝しつつ生きることも難しいと思う。自ら命を断つことも許されない苦痛の中で生きなければならないのか?


鎌倉時代前半から中期にかけて日本仏教家であり、 浄土真宗宗祖される親鸞は弟子との対話でこう述べている。

苦悩の旧里はすてがたく いまだ生まれざる
安養浄土は こひしからず 候ふ
書籍:歎異抄より

ようは悩みが尽きない今の現状ではあるが、それでも現世が名残惜しい。死後の世界がどんなに素敵な悟りの世界とはいえども浄土は恋しくないということだ。

これほどまでに修行を重ねた僧でも、死後の世界には行きたくないらしい。

死は怖いことではない。そう思えば安心して死を迎えることができると言われても、誰も死んだことはないから信じきれないし、高名な僧がこう言っているのを聞くとなお不安が募る。
苦しみの程度にもよるが、まだ見ぬ死後の世界に飛び込むことより、苦しみの中生きる今のほうがよいと捉えている。


ほぉ〜。そんなもんなのかな?私は偉くもないし、まだ死にたいほど苦しい体験をしたことがないのでよくわからないが、このような考え方もあるのだなということを知った。

自分でも何を言いたいのかわからなくなってしまったが、この世に生を受けた以上、誰しもが苦しみからは開放されないということ。死を迎えるまでの過程は自分自身の考え方一つでいかようにも変わること。死後の世界は誰も見たことがないため、どうせ行くことになるなら、今を生ききって行くのも悪くないのかなと思う。

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