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誤解されたくないなら伝えればいいじゃない

那覇港からまっすぐ向かった先にある食堂の床が、まんまベトナムのインドシナフランス領時代のタイル床だった。沖縄、いや南西諸島で見かけたのははじめてだと思う。どういう背景だろう。

沖永良部島からベトナムへ向かう道中です。ざっくり8年間住んだ場所なのに、うっかり4年半もご無沙汰になってしまってびっくりしている。コロナ禍の影響と、そして外洋に囲まれた島が為せる心理的フェンスの高さよ。それっぽく言ったけども、単に経済的・時間的なコストがかかるだけでした。

昨晩はソウルで起業した友人J(といっても彼の地元だけど)と2時間くらいお喋り。そんなJもまたベトナム時代の友人。かなりユニークな事業内容で、起業早々、日本も含めてさまざまなメディアに取り上げられたらしい。

いや、別に書いてもいいよね?お店を紹介しているブログ記事です。

コロナ禍に入ってからこれまでオンラインで一番話したのはJかもしれず、彼が悩み、挑む過程を見てきたから、濃密なドキュメンタリーを島から定点観測させてもらっている。 本年40歳の私、どう生きるか、考えさせられた。

そして急に書き始めたこの日記、いやあえて初心に戻ってブログと呼ばせてもらうと、ブログはその行動のひとつだったりする。で、なんで書くのか。

この歳になると、自分の性格もある程度は把握できる。自分は根っから、誤解されることが大嫌い!…と書くと、ただのわがままに聞こえるが、これはほんとにただのわがままで、シンプルに、自分が何かを思って取った行動が相手に伝わっていないと、シナシナと干しブドウのようにげんなりする。伝わっているなら、拒否されてもアプローチを間違えただけなので幾分平気。いくぶんね。

じゃあ、伝えればいいんじゃない?というのがブログを書き始めた理由。

島に来てからというものの、いろいろとやっている。ベトナムにいた頃はほぼウェブコンテンツをつくること一点に打ち込んでいたけど、島では否応なく、視界の中におもしろいものや放っておけないものが飛び込んでくるからだろうか。大きく3つ、文化継承、多文化共生、社会活動支援(取材やらファンドレイジングやら)、これらの分野に関心を持って取り組んでいる。

この3つ、自分の中ではしっかりとつながる。多文化共生(自分にとっては「マイノリティが住みよい社会の実現」という理解)においては、属性を横断した場づくりが必要だから、みんなが住んでいる土地の文化継承がポイントになるとか、自分自身は取り組まない分野に取り組んでいる人を間接的に支援したいから、取材やファンドレイジングという手段をとっているとか。

でも、自分に限らず、内と外では見え方がまったく異なるので、語らずしてそんなことまで汲み取ってくれる人は、かなりマインドが似た人だけだ。分業や専業が一般的になった現代で、さらに1・2次産業から離れていくと、なんかいろいろやっているがよく分からない宇宙人にでも見られてしまう。

なんて話をJにすると、「それはネルソンさんが自分で分かってやっていればいいだけでは」と言われ、「確かに」と思ったが、それでも納得できないのは、冒頭の「誤解されることが大嫌い」という性格に由来するのだろう。

じゃあ、伝えればいいんじゃない?というのが(略)

500字くらいにまとめるつもりだったのが、そろそろ3倍に届いてしまう。mainichi(毎日)続かなくても切腹とかはしないけど、なるべく続くように頑張ります。いや、頑張らない。とりあえずその日あったことでも書くよ。

こうしてnoteに書いてみて気付いたのは、SNS(おもにFacebook)と違い、誰かの顔が飛び込んでこないから、意識しないで書けるっていうところだ。物事を続けられる最大の動機は「自分のため」だと思うので、内省装置で。


ぜんぶうまい棒につぎこみます