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多文化共生と地域課題解決にまつわる出張(大阪香川高知名古屋岐阜岡山広島)の記録

出張の振り返りをしなきゃしなきゃと思いながらさすがに18日分と考えると億劫で、一週間近く経ってしまった。今回はすごく勉強になることばかりで、ひと皮ふた皮むけた気がする(自分で言うと説得力に欠けるけども)。

この期間での体験で感じたことを書き留めることで頭と手に染み込ませておきたい。行った先は、大阪、香川、高知、名古屋、岐阜、岡山、広島。あと経由地で福岡と沖縄。出張の目的というよりきっかけは、大阪で行われたベトナムデイズ(大阪ベトナム友好協会さん主宰)の講演会と、名古屋で行われたRe boot NAGOYA(名古屋青年会議所主催)のブース出展すること。

幸い、オミクロン株がどうのと騒がれる(発見される)前でよかった。また行きづらくと困るなぁ、そのへんはもうただただ願うばかりである。さて。

自分の事業についてはここをご覧ください。

印象に残ったことを書いていきます。

ハードとソフトの両輪がある場所づくり

高松(香川)と土佐山(高知)の滞在、とくに後者で思ったこと。以前町のワーケーション事業関連で来島された吉富さんが事務局長を務めている土佐山アカデミーへ。吉富さんを訪ねるつもりがなんと吉富さんが島に、自分が土佐山にいるという800km離れた場所で奇跡の入れ違い。高知を発つ朝に、出張から戻ったアカデミースタッフの下元さんに案内してもらい(感謝しかない)、吉富さんの投稿を通して知っていた土佐山の「聖地めぐり」の気持ちで見て回った。

素晴らしい景観の、山の上の土佐山アカデミーのオフィス。一匹の犬(ガブリエル)と二匹の猫(ちくわとこんぶ)とたわむれながら下元さんとアカデミーの活動について根掘り葉掘り聞かせてもらう。山と島、ぜんぜん環境は違っても課題の多くは共通する。課題を「おたから」と表現して、棚田と竹を使った世界最速の流しそうめんなどのおもしろイベントを次々と打ち出している土佐山アカデミーの軌跡を見て、素直に「俺もそういうのやりたい!」と思った。自分には珍しい感情なので、そう思える出会いがあったことはほんと幸運だと思う。

そこで強烈に感じたのはハードとソフトが存在すること。土佐山アカデミーは、倉庫を改装したオフィスに付けられた名前でもあると同時に、前述のイベントなどを打ち出す組織に付けられた名前。四方八方に張り出された制作物やホワイトボードに書かれた企画などを見て、まるで土佐山アカデミー(=企画面ではとくに吉富さん?)の脳みその中にいる感覚だった。土佐山アカデミーというハードに来れるから、土佐山アカデミーというソフトのおもしろさが分かる。

吉富さんが島に来るときに、二人の共通の知人友人から「ネルソンってのがいる」と聞かされたらしいのだけど、どちらも超おもしろい人だったので、「一体どんだけおもしろい人が来るの」と思ってた。ハードとソフトの両輪が揃うと、おもしろい人を引き寄せる『媒介』に進化するのかもしれない。土佐山アカデミーという存在を知っている人なら、おもしろい。これは大都会・東京の真ん中ではなく、高知の山にあるということも大きいだろう。まるで看板を出さない会員制サロンのように、知っていることそのものがアンテナの感度の高さを裏付けている。

あー俺は島でこれをやりたいな、目指すべきところだな、と思った。ルイーダの酒場をつくりたい。

○○料理店に○○好きは集まる

神戸のベトナム料理店コムコカさんにて、元ベトナム仲間三人でランチ。ベトナムでの思い出や昨今のコロナ事情を語り合ったあと、店主の古賀さんと二人でなんだかんだで一時間以上(二時間?)話し込む。自分の事業(製品)の話をしていると、店の常連さんが革職人で、コムコカグッズをつくって入口脇に貯金箱といっしょに無人販売的に置いてあり、実際にお客さんが買って帰って行った。「Tシャツも同じように(置いて販売)できますよ」と言われてハッとする。製品を買ってくれる人物像に、少なからず『ベトナム好き』は入ってくるけど、考えてみればベトナム料理を食べに来る人はいくらかベトナムは好きだろう。ご厚意に甘えて、新製品をつくったら置かせてくださいとお願いした。

ベトナム料理店にはベトナム好きが集まり、タイ料理店にはタイ好きが集まる、考えてみれば極々当たり前のことだ。まったく一致するとは思わないけど、その国の料理に対して「おいしい」というイメージを持つ人なら、その国の人々とコミュニケーションをとることに対してそう否定的ではないように思う。少なくとも、店主がその国に無関心ということはまず考えられない。販路というと身も蓋もない言葉になるけど、可能性を見つけた瞬間だった。

自信を持って堂々と話し切る

大阪でのベトナム文化交流イベント、ベトナムデイズで講演会の場を持たせてもらう。今まで機会に恵まれながらもまったく慣れない、何なら苦手な人前で話すという行為。でも、いちおう肩書きは(ひとり)社長なんだし、そこでの振る舞いが事業につながると考えたら、さすがに逃げていられない。ネットでノウハウを調べたら、オリラジ中田さんの動画が引っかかる。思った以上に良いこと言ってて参考になった。

改めてなぜ苦手意識を持っているのか自己分析してみる。だいたい、話しているうちに、「自分だけが話していて申し訳ない」「反応が分からない=退屈だと思われている」と考えてしまって、本番中に段々と辛くなってくるからだ。でも、折角時間を割いて来てくれている人にそれは失礼すぎる。ハッタリをかます訳じゃない、堂々と話し切ることにした。

とはいえ最後の質疑応答で何もなかったら凹むだろうなーと思っていたら、想像以上に聞いてもらい、終わったあとも多くの人に話しかけてもらえた。意外とべとまるを読んでた人もいたみたい。なんだ、自分の言いたいことはきちんと伝わっていたんじゃないかと。ひと皮ふた皮むけたという言葉の半分くらいはここにある。長年の持病が治ったのだ。それから何度か複数人を前に話す場を迎えたが、これまでたびたび顔を出していた無意味な緊張感は沈黙してくれた。

まぁ、とはいえ、当日は動画を用意したり、データを出して説得力を高めたりと、資料にも気を遣っていたので、そういうのは怠らないようにしたいと思う。そういうのがあってこそ、堂々と話し切れるのだから。しゃべりだけで持たせられるほど自分は能力高くない。

新興ベトナム人コミュニティ商圏黎明期

大阪での講演会前日に、主催者の仲山さんからある方を紹介してもらった。彼女はベトナム人で日本に来て10年弱という。仕事は、居酒屋、不動産、カラオケ屋…でもそのお客さんは基本全員ベトナム人。もはや生野区ベトナム人コミュニティの顔。らしい。

一方、岡山でも、一棟丸々ベトナム人向けのお店(料理店、カラオケ店、クラブなど)が入ったビルを教えてもらった。全国各地でベトナム人実習生や留学生が増えている。当然ながらコミュニティが形成されれば、彼らを相手に商売をする人も出る。ホーチミンのレタントン通りは日本人向けのお店(日本食店や、日本語の通じる美容室や不動産、お姉ちゃんのいるカラオケ店とか)が集まっていたが、それと何ら違いはない。でも、個人が増えることと、商圏ができることは、社会の変化において感じるインパクトがかなり違う。商圏ができれば街になる。中華街然り、中南米から移り住んだ人達などはすでにコミュニティを形成しているけれど、たった8年で16倍(2万5千→44万くらい)に増えているベトナム人住民は、この先どんな一大コミュニティを、一大商圏をつくるのだろうか。

これはものすごく社会に影響を与えることだと思うんだけど、いくつかの地域を渡り歩いてはじめて見えたことなので、ハッキリと認識している人はまだ少ないように思う。先読みはできる、しかしそこで何ができるだろうか。

行き着く先は棲み分けか

岐阜の大垣市の大垣国際交流協会を訪問。東海地方は日系ブラジル人など中南米から移り住んだ人も多く、今はその子ども達の教育や就職が新たな課題となっている、ある意味では多文化共生の先端地域。では交流はありますか?と聞くと、かつてはあったかもしれないが今は聞かないという回答。その理由のひとつに、すでに棲み分けが起こっているから(かもしれない)。ルーツが日本にあろうが、そもそも生まれ育った文化が違えば、その上で完全にともに暮らせることはもはや同化に等しいだろう。

世界各地に中華街があるように、そして日本人街もあるように、棲み分けが起こることは社会で暮らす人として自然の摂理なのかもしれない。ベトナム人コミュニティにおいても同じことが起こるか、いやもう起きてるか。じゃ、まー、それまでえっちらほっちら頑張るかーと思っていたら、広島文教大学の岩下先生にお会いしたときに、スラム街化の話を聞かされた。一昨日は記者の方から、かつて神戸が震災があったとき、ベトナム人だけが集まる避難所ができて、スラム街的な様相があったという話も聞いた。そうなんだな。棲み分けがされたとしても、その住民たちが経済的自立を果たせていなければ、スラム街化してしまう。それじゃあ「棲み分けされたね、よかったね」とも言えない。お互いに何かしらの不安を抱えて生きる日々になる。それを防ぐためには、個人に対する日本語教育も必要になってくるか。

一周、いや二周三周くらい回って、コミュニケーション(を通じて言語能力を高めること)の重要性を再認識した。えっちらほっちらどころでなく、自分がやるべきことは期間限定でもなさそうだ。金をかけずに母語で教育を受けられるといいけれど、そんな優しい社会、世界のどこにもないだろうしね。たぶん。

直の反応に触れて生まれた価値再認識

名古屋の青年会議所のイベントで、製品を展示した。販売するつもりじゃなかったけど念のためいくつか持って行ってたら、2時間いる中で同じくブースを出しているみなさんに合計5着買ってもらった。多くないと思われるかもしれないけど、正直これまでネットショップの売れ行きはかんばしくなく、問題は何だろうと焦っていたけど、やはり立場が近い人には価値を分かってもらえるんだなと思った。つくった本人(自分)が手売りしていることも大きいだろうけど。

問題を探す中で、製品に対して不安が募っていたけれど、価値がない訳じゃなかった。目の前の相手のリアクションを通して分かる、「言いたいこと、やりたいこと分かる」というあの感覚。大事にしたい。当然改善の余地はあるけれど、売り方だって考えないといけなかった。作って仕入れて、ネットの片隅でアップして済めばそんな楽な話はないのだ。伝え聞いた話で、アパレル業界にいた人が「売れないアパレルはすべて売り方が悪い」と言っていたらしい。別の友人は「商品を並べる棚が合っているかどうかが大切だ」と話していた。直に反応を見れたことで、少し自信が戻った。どうも自分はものづくりにこだわりすぎていて、売り方の方に頓着がない。世の中には粘り勝ちという言葉もある。

自分の活動を別視点で見てもらう

名古屋で友人たちと飲んだときに、島出身の青年も来てくれた。自分は彼と認識してなかったけどFacebookでフレンド申請をくれてつながっていたみたいで、「琉球新報で通信員をはじめてくれたことがうれしい」と。母が沖縄の人なので、沖縄とえらぶをつなぐ活動だからということだった。自分は自分なりのいろんな動機や経緯があってはじめたことだけど、違う立場の人から見るとまったく思わぬ価値を見出してくれる。その価値が自分を違う世界へと連れて行ってくれるのは、ベトナムで実証済みだ。そのためにはやはり情報発信、どこに届くか予想もつかない発信が大切だ。琉球新報などの記者活動以外にも、YouTubeもふくめて時間をつくってやらないとあかんなぁ…と痛感した。

島民は島の中だけじゃない

またまた名古屋で、愛知沖州会(えらぶ出身者の集まり)の方、幹事長の西村さんと会長の佐藤さんと会う。行った先のお店で島産黒糖焼酎の『まぁさん』がグラス180円!どういうことかというと、お酒のラインナップが多いにも関わらず黒糖焼酎がなかったことで、西村さんがほれっと提供、それで格安で提供できているらしい。なるほど…。お二人ともに国頭出身ということで(自分の母は国頭出身)、話はすごく盛り上がり、島外に住む人の島への郷土愛のあり方というものを感じることができた。移住者を増やすことは地方の至上命題的な位置づけにあるが、ふるさと納税などの仕組みもある中で、戸籍的な意味は置いといて、島民とは果たして現在島内に住む人だけを指すのだろうか?なんなら、12000人余りの島民よりも島外にいる島ゆかりの人の数の方が多い。かもしれない。

ついさっき鹿児島大学の奄美教育プログラムで話したばかりだけど、そうした島外の『島民』と、今島にいる島民が、先祖から紡いできた文化や伝統を後世に残すためにどうスクラムを組んでどう進められるか。外への発信という仕事を持つ自分のミッションはそういうところにある気がする。すでにひとつアイデアは温めているので、実践したい。

美作市のバスツアー

先日行ったアンケートでありがたいコメントをいただいていて気になった岡山県美作市。いろいろ調べると、ダナン大学と協定を結んでいて、卒業生を市の職員として雇い、実習生の生活を支援しているという。そしてなんと日本で唯一のホーチミン像まである。これは行かないとということで、地元の小野さんと三好さんに多大なるご協力を得て、ともに市の商工会へ。そこでコメントをいただいた担当者の方とも意見交換できた。

いろいろと学びはあったが、とくに興味を引いたのがバスツアー。実習生を乗せて市内の観光地などを巡るという。取り組みのうちのひとつという感じだったが、あれ、これ、めちゃくちゃよくない?と思った。なんせ実習生に自転車以外の足はないから、遠出にも限界がある。だから行こうとする以前に、どこに何があるのか分からない。結果、どうしようにも仕事、つまり出稼ぎ目的だけになってしまう。確かに出稼ぎに来たのかもしれないけど、出稼ぎ以外の選択肢を与えられるのは地域の人達だ。

でも、バスツアーは地域課題解決的な文脈でも意義はあるはず。島も車社会で、バスを利用するのは車を運転しなくなったお年寄り、でも敬老割引で売り上げにそれほど直結しない。そこで頻繁に乗ってほしいと言わないまでも、車を持っていない実習生は潜在的なバスユーザーと言える。これは、多文化共生の課題と、インフラ維持の課題がうまくつなげられるかもしれない。

ただ、観光地を巡りつつも、イベント後に人間関係がつながるような仕掛けを考えないといけないだろう。島には通訳できる人もいないし、離島に招くのも決して簡単なことではないが、実現可能か考えてみたい。ずっと、自分はツールを作っているだけでいいのだろうかと思っていた。全国を変えるにはそうせざるを得ないけど、島内における直接的な支援だって、隙あらばやりたい。実現させたい。

各地域にせめて一週間は滞在しながら行脚したい

と、書き出したらめちゃくちゃ多くなったけど、最初の鹿児島大学の与論島実習を抜いても、二週間の長めの出張となった。今回は地域に住む人に協力してもらって、場所によっては24時間もいないにも関わらずスムーズなスケジュール進行ができたけど、本当に地域の課題を知ったりプレイヤーとつながるには、やはりもっともっと時間がほしい。

しばらく製品開発と展開に時間を注ぐけど、準備ができたら、各地一週間くらいは滞在してリサーチと営業行脚みたいなことができたらいいなと思う。でもその「準備ができたら」のハードルは低くない。ぶっちゃけ、その前に力尽きてる可能性だってあるが、リスク対策以外にやれることはないので、前向きに進めていきます。

新製品つくったら買ってください~!めっちゃかっこいいんで!

ぜんぶうまい棒につぎこみます