悪さと時間
私の周りにいる子供はとてつもなく忙しい。
それは私たち大人の生活や都合に付き合わされてか。
今日はそれを顕著に感じさせるある出来事を聞いた。
ある1年生の男の子が、小学校併設の学童から習い事の教室へ移動する最中のこと。
習い事のスタッフがお迎えにきて、他の子と並んで小学校の敷地内から車へと向かっていると、その子の担任の先生と思われる人が現れ、話しかけた。
その話によると、男の子はクラスの女の子に怪我をさせてしまったとのこと。詳しく話を聞かせてくれ、と先生は、その男の子に声をかけたのだった。
しかし、習い事のスタッフには、他の子供のお迎えもあり、長い間待つことができない。
先生はそれを汲み取ってくれ、「明日話そう」と声をかけて去っていった。
確かに習い事のスタッフ側から見れば、他の子供を待たせるわけにはいかず、すぐにでも男の子を車に乗せたい。
しかし、それはあくまで大人や習い事というビジネスの間の都合である。
子供の側からしたら、けんかや、怪我の問題を話し合う方が重要ではなかったのか。
この男の子も、怪我をさせてしまったことに対して、
「これは後回しでいいんだ、たいしたことじゃないんだ」
と思ってしまうのではないか。
そしてそう思わせているのは、紛れもなく私たち大人のビジネスの世界である。
悪さをしたとき、それはたった今から考えなくてはいけない、大きな問題だ。
なんだか私たちの世界は、子供を巻き込みすぎている。
時間をかけるべきところを、忙しさで黙殺してはだめだ。
子供たちにとっての世界で、大人たちを振り回すくらい、自由な世界であってほしい。
大人もそこを意識しなくちゃな、と、思った。
サポン!で世の中を変えることは難しそうです。しかしやってみる価値にかけてみたいと思います。