クズ論
唐突に性別という概念が煩わしくなってしまい、ツイッターにだーっと暴言を吐いてしまったのだけれど。
私のツイッターはこちらからどうぞ。
女であることが嫌になったわけではない、男になりたいわけでもない。ただ、人として見られる前に、女として見られ、女の中の黒髪で長身で一重でこういう服を着た女、というジャンル分けみたいなのに(相手の思考の中で)瞬時に区別されてしまうような感覚が堪らず嫌で。
えー、もっとさぁ、こういう所あると思うんだけど見てくれない?なんて心の中で悪態つくわけなんだけど、多分、私も、世の中の出会ったひとたちを、男、黒髪、二重、どっちかと言うと好みじゃない顔、中肉中背、ユニクロ系、とかって、瞬時に区別しているんだろうなって思う。
つまりは人間、他人の事を自分の見たいようにしか見ていないんだろうな。
この人はこうあって欲しい、この人はこうあるべきだ、きっとこうなんだろう、という自分自身の理想、欲求に従って色眼鏡をかけてその人に向かう。
人って不思議なもので、こんな風に見られているのだろうなぁと感じ取るとそうしちゃうもんで。
その色眼鏡通りの行動、色眼鏡に近い行動をするからより、色眼鏡の色が濃くなる。
社会的な自分はそれでよい。
むしろそれがよい。周りに求められるがまま、認められるがまま、流れに身を任せ努力し、そうなるように努めるのが、トントン拍子に進むコツであると思う。
だがしかし、そうすると、だ。
良いヤツにしかなりようがないその社会的な自分の傍に、クズな自分がぽつんと、しかし良いヤツをすくすくと育てれば育てるほどドス黒くなって脅威となってゆくそのクズな自分が、わたしは?って、こちらを見てくるのである。
女でもなく、男でもない、黒髪でも長身でもないそのクズな自分は、時折、一人でいる時に顔を出すが、それだけではどうやら物足りないらしい。
私は、クズな自分同士を認め合いたかったらしい。
LINEの返信が一週間ほど遅れて「クソ」と思われようが、思おうが、お互いのペースで連絡を取りお茶に行くだとか
その場で消えることが前提の悪口や噂話をゲラゲラ笑いながら話すだとか
どっちの酒の潰れかたがしょうもないか話し合うだとか
あんまり、いい例えが浮かばなかったけど。
そういった、社会的な良いヤツから逸脱した阿呆、もしくは馬鹿をすることによって、私の心の中に住んでいる、女でもなく、男でもない、クズな自分がニヤニヤと笑いながら落ち着いて体育座りをまた、してくれるのだ。
性別って、この世で一番強烈な先入観と魅力を産むと私は思っていて。
女の子なんだから。男の子でしょ。と言われたことの無いひとはむしろゼロに等しいだろうし、それぞれの女性観、男性観でもって人を判断しているだろうし。
だけどその奥にはみんな、似たようなクズ性を隠し持っていて。
私はそのクズ性の合う人を、大事にしていきたいな。なんてちょっと、思ったわけなんですよ。
だから、彼女がいることを隠してさらに彼女を作ろうとするクズ性は嫌いだから跳ね除けるし
だけど、既婚なのを明かして彼女を作ろうとするクズ性は好きだから好みだったら仲良くするし。
まぁみんなそんなもんか。
クズ万歳。
どうせなら、清く正しくクズしよう。
ある意味では、彼女がいることを隠して彼女を作ろうとする某のクズ性も清く正しいのだから。
ねこぜ
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