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「教員は世間知らずで常識がない」と言う意見について、元教員が考えてみた。

教員を目指していた時期も、教員になってからも、そして教員をやめてからも、ずっと引っ掛かっている言葉がある。

タイトルの通り、
「教員は世間知らずで常識がない」
と言う言葉だ。

SNSやニュースのコメント欄などのネット上で目にすることもあれば、
教員時代、保護者から直接言われたこともある。

一般企業に転職してからは、私の前職が教員と知らない会社の人との会話の中で、取引相手として、子どもの担任の愚痴として、教員の不祥事ニュースの感想として、この言葉を数えきれないほど聞いた。

ずっともやもやしてきたこの言葉について、
教員、ベンチャー企業、いわゆる一般企業、と3つの職場を経験し、
下は小学生、上は90歳まで、年齢も立場も職業も様々な知り合いから、話を聞かせてもらってきた経験を踏まえて考えてみたいと思う。

結論、正しいとも言えるし、正しくないとも言える


言ってしまえば身も蓋もないが、私はそう考える。

導入で3つの職場を経験し〜とか、様々な知り合いが〜とか述べてみたけれど、私自身まだ20代後半の若輩者。自分が世間を知っているなど口が裂けても言えない。

でも、これは教員だからどうかは関係ない。ただの経験値の問題だ。

この世の中には世間知らずや常識のない教員も確かにいるだろう。
それは「まだ」ないだけかもしれないし、
「そもそも身に着ける気がない」のかもしれない。

そして、そんな人間は教員・一般企業の社会人どちらにも存在する。

なぜ「教員は世間知らずで常識がない」と思われているのか?


主な理由として、
「大学を出てすぐ学校で働くため、学校以外の社会を知らないから」
と言われることが多い。

確かに、多くの教員が大学卒業後すぐ教員採用試験を受験し学校現場へと入る。

学生時代に多少のバイト経験等はあるだろうが、社員とバイトでは責任の重さが全く違うものなので、この時点で教員が「世間知らず」なのは間違いないだろう。

ただ、これは一般企業に入社した新入社員も同じこと。

その後、会社に勤めるか、学校に勤めるかでそこまで「世間」との間に溝が深まるのだろうか?

「学校」は想像以上に多種多様


「学校以外を知らない」と教員はよく言われるが、
その「学校」という現場それぞれが全く違うことを教員経験者以外は知らないのではないだろうか?

私立か、公立か
小学校か、中学校か、高校か、

といったことだけではない。

学区(地域)が少し違うだけで、
年度が一つ変わるだけで、
偏差値が1違うだけで、

そこには全く別の世界が広がっている。

自分の経験した学校生活だけを思い浮かべて、「教員は学校しか知らない」と言っている相手に、私は声を大にして言いたい。


「学校ごとの違い」はいわゆる「世間」の広さを時に残酷なまでに表してくると。


例えば、私は私立の高校に通っていた。
偏差値は地元の中でも中の上。
真面目な子もいたし、不真面目で赤点ギリギリと焦っている子もいた。

私立だったので、中学・高校コースもあった。
中学・高校コースはいわゆるお金持ちかつ頭の良いエリートの集まり。

高校コースは三者面談時期で国産・普通車が校内に駐車され、
中学・高校コースの三者面談時期は外車・高級車が校内に駐車される、
と揶揄されるほど格差があった。

そんな高校時代を送っていたので、私は比較的特殊な高校生活を送り、どんな高校でもある程度対応できると思っていた。
しかし、私が最初に配属された学校は予想を超えていた。

いわゆるヤンキー校。
もはや漫画で見る世界。

窓が割れるどころか、壁も、天井も壊れる。

校内でタバコを吸うと見つかるからと、休み時間に近隣の住宅の庭に侵入しそこで喫煙。

廊下で野球、喧嘩で水道管破裂、バイクで登校した挙句校庭を走り回る。

理解できない世界がそこにあった。

最近話題になっていた、修学旅行や自然教室の荷物検査。
自分が学生時代何も問題を起こしたことがない生徒なら、煩わしいものでしかなかっただろう。

ただ、実際にはジャージの紐にタバコを括り付けたり、下着の中に小さな酒の瓶を忍び込ませる生徒もいるのだ。

修学旅行や自然教室に行った先で、飲酒・喫煙ということがおきたら。
そして、酔っ払った生徒が他のお客さんに迷惑をかけるようなことが起きたとしたら。

そんな万が一を考えて、教員は持ち物検査をしているのだ。


「そんな世界をあなたは知ってる?」とつい問いたくなってしまう。


家庭環境も様々だ。

両親揃っていて幸せな家庭。
両親揃ってはいないけれど幸せな家庭。
両親がおらず、祖父母や養父母に育てられている幸せな家庭。
親の再婚で血のつながりのない兄弟のいる幸せな家庭。

そして、その反対も。


私が勤めた学校が特殊で、問題だらけだったわけではない。

どんな学校であれ、問題の種類は変わっても、様々な問題に教員は直面し、様々な家庭と生徒に向き合う。

ニュースでしか知らない世界。
ニュースにもならない世界。

そんな世界を教員は日常として目の当たりにする。

私は問いたい。

そんな現実を見ながら、生徒と、時には保護者と、日々真剣に向き合う教員が果たして本当に世間知らずなのか?と。

そもそも「世間」「常識」って何?


そもそも、一般企業に勤める方の「世間」「常識」ってなんなのだろう?

私は学校現場以外に2社経験し、その経験の中で複数の会社と一緒に仕事をしたが、それぞれ会社の「常識」は違った。

・若手社員は早く来て、掃除やお茶の準備をするのが暗黙の了解な会社

・シフトは決まっているのに遅刻は日常茶飯事な若手社員と、それでも仕事ができるからと許す会社

・メールですら無駄な作業と考え利用せず、チャットで連絡、反応はスタンプで済ませるのがルールな会社

・礼儀を尽くすのが大切だからと、取引先へは必ず手書きで文書を送る会社

・連絡事項はFAXで送り、着確の電話を必ず入れる会社

会社によって「世間」「常識」は驚くほど違った。

自分の過ごす場所で「世間」「常識」は驚くほど変わる。
果たして教員だけが「世間知らず」で「常識がない」のか。

全ての人が、ある場所では「世間と常識を知っている人間」で、
ある場所では「世間と常識を知らない人間」になりうるのではないか。

教員だけが矢面に立たされがちな「世間」を見て、私はそう思わざるを得ない。

私が、たった一つだけ教員に足りていないと考える「世間での常識」


ここまで語っておいて何だが、一つだけ教員に欠けていて、ほとんどの一般会社員には備わっている常識があると私は思う。

それは、 「仕事に対する金銭感覚」 だ。

これはある意味しょうがないことだとも思う。

教員がお金のことを本気で考え出したら、

・残業代はどうなるの?というか昼休憩もまともにない状況ってどうなの?
・休日に雀の涙ほどの金額で部活の顧問をする状況は?
・授業を実施するために勉強用の書籍を購入したがそのお金は?
・自分の担任するクラスで使用する備品を購入したがそのお金は?

などなど、お金の問題は際限なく出てくる。

一般企業であれば、残業代は出るだろうし、昼休憩もあるだろう。
休日に出勤すれば、振替休日の取得ができる。
仕事で使用する備品は、会社の経費で購入されることだろう。

だが、教育現場ではなかなかそうはいかない。

例えば体育祭や合唱コンクールで、自分の担任するクラスが賞を取ったとする。賞状は学校の経費で作成される。ここまではいい。

ただ、それを教室に飾るとなった時、額縁に入れたいと思ったなら、それはほとんどの場合教員の自腹になる。

クラス用に使える予算はあるけれど、他のクラスと平等でなくてはならないから。
賞状をもらっていないクラスにまで額縁を買うわけにはいかないから。

教員は額縁を自腹で用意する。

私が一度額縁を購入せず、学校の備品でラミネートだけして教室に掲示したところ、生徒からも保護者からも不満の声が上がった。
「せっかく頑張った証なのだから、きちんと飾ってほしい」と。

また、残業代が出ないからこそ、勤務時間の管理も杜撰になっているのではないか。

生徒の最終下校時間が教員の就業時間内に収まっている学校が日本にどのくらいあるのだろうか?

職員会議やPTAの会議、保護者との面談の設定時間が就業時間内に収まる割合はどのくらいだろうか?

教員がまともな仕事に対する金銭感覚を持つと、極論、学校経営が破綻するのが今の日本の教育だ。

だからこそ、教員は一般の会社員と同じように、仕事に対しての金銭感覚を持つべきだと思う。

・自分の働きに対して、どれくらいの金銭価値が生まれているのか

・お金をかけて用意した教材がどのくらい生徒の学習に効果があったのか

・今やっている業務は本当にやるべきことなのか

お金の意識を持つことで、効率的に仕事が運ぶこともたくさんあるだろう。

働き方改革が声高に進められている今、教員自身も自分の働きの対価としてお金を貰っている意識を強く持つことが求められているのではないだろうか。

長くなったが、
教員は決して「世間知らず」で「常識がない」わけではない。

もし、そう見えるのだとしたら、そう見えている側が、自身の考える「世間」「常識」が本当に全てなのか見直してみてほしい。

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