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留学の許しをもらうまで~過保護で保守的な家族の場合~

アメリカに留学したいと親に言った際、母は中立的で賛成も反対もしない、父は反対。
父の言い分は

・なぜ留学するのか
・日本の大学から交換留学ではだめなのか
・留学して何を学ぶのか
・留学先で学んで、それをどう生かすのか
・就職はどうするのか

私はとにかく長期留学、つまり交換留学ではなく、しっかり海外で勉強して卒業までしたかった。
しかしなかなか聞き入れてもらえない。私と父の間では留学の話はタブー、話題に出ると父は不機嫌になった。だからいつも自分の思いを伝えるときは母に伝え、母から父に伝言、それを受けて父が意見を言い、受け取った母が私に伝えるという素晴らしい伝言ゲームが日々行われていた。
母にはLINEで文章にしたり、口頭で直接伝えることもあった。
母は私の考えを肯定することも否定することもなかったが、静かに見守ってくれているような感じがした。

決め手になったのは、私と父で留学相談に行ったとき。
高校卒業後に日本で一年間留学の準備するための学校の個人説明会へ行った。そこで私は担当者の方に学校や留学全般について質問し、留学のことを真剣に考えていることをアピールした。


そして帰宅後、母を交えて親子会議。改めて留学の意志を伝えた。論理的に説明できれば説得力があったのかもしれないが、「絶対留学してやる、認めてもらう」と必死だった私は涙で顔がぐしゃぐしゃ、嗚咽を漏らしながら自分の思いを伝えた。

そして

父は「本当に行くんだな」


と言ったあと、了承してくれた。

母は相変わらず何も言わなかったが、ほっとしていたのではないかと思う。
こうして私と父の冷戦、涙の戦いは終わった。

外国は危ない、絶対行くな、といった超過保護、超保守的な家族なので留学を認めてくれたのはすごく大きいことだと思う。


ちなみに小学生のころの家のルールは、
・門限は17時
・友達と放課後遊ぶときは家の中で、外に出てはいけない
・徒歩3分の近所に習い事へ行っていた時、親の迎えが来るまで建物から出てはいけない、一人で帰ってきてはいけない。

ほとんど守っていなかったが、これは厳しい… と小学生ながらに感じていた。
こんな家なので留学の説得が難航したのは当然といえば当然。


最後は熱意だった。留学を許してもらえなかったら...なんて全く考えていなかった。絶対アメリカに行く、私にはその道しかない。この頑固さとしつこさで勝ち取った留学だった。


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