「継続」と「複利」が生む、同期のアイツとの残酷な格差
私は金融機関に20年以上勤務しており、さすがに色々と見えてくるものがあります。
「自分が出世できるかどうか?」「どこまで上がれるか?」などがボンヤリ、というレベルを超えてはっきり見えてくるのが40代と言っていいでしょう。
つまりは、自分と他人との差、自分の能力と他人の能力とがフィルターなしでクリアに見えてくる。
若い内にありがちな「あんなのはまぐれでラッキーだ。俺のほうが優れている!」といった血気盛んな熱いモノが湧かなくなり、冷静な思考で彼我の差を受け止めることができるようになってきた。
まあ、ある種の諦観ですね。
自分というものが解ってしまい、他者との差を埋めることを諦めてしまう。
それ自体は悪いことではありません。死ぬまで血気盛んというのも困りものです。
私は以前に、先が見えた中年は柔軟性を喪失し悪い意味で開き直りがちだ、と指摘しました。
ですが、中には穏やかな諦観に包まれながら中年サラリーマンライフを送る人も多くいます。(こういう層が得てして給料泥棒と揶揄されることになりますが…)
ですが、ほとんどの人はそこに至る人生の中で、もっと評価されたい、もっと成長したい、もっと稼ぎたい、もっと尊敬されたい、そう願ったはずです。
地位と名声と富。それらを手中に収める人が社内にいる。それが同期である場合は少なくありません。
同じ年数勤務しているのに、勝ち組と負け組を分かつものは何なのか?
私なりの1つの視点をお示ししたいと思います。
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