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「今までありがとうございました」500円セットと、なまぬるいビール。


東京に来たばかりのころに住んでいたアパートから徒歩3分のところに、おばちゃんとおじちゃんが2人でやっているラーメン屋があった。

床の模様や、壁紙なんかは時代を感じさせるレトロな雰囲気で、とても長くお店をやっているんだろうなぁと推測できる店内だった。

お店はとても年季が入っているが、床もテーブルも、キッチンもピカピカでいつも掃除がゆき届いていた。


おじちゃんめっちゃ話しかけてくる。
いや、おじちゃんは話し好きなのだがシャイなのだ。
なので、店に入るとおじちゃんは話しかけたそうな雰囲気を出しつつも、おじちゃんの中で「ここや!」というタイミングで唐突に話しかけられる。


おばちゃんの方がどちらかというとチャキチャキとしており、重い中華鍋を振るってチャーハンを作るのはいつもおばちゃんの役目だった。

おじちゃんの方が少しのんびり。
そんな2人の作り出す空間がとても居心地が良かった。


こちらも、いつおじちゃん話しかけてくれるかなぁと、内心ニヤニヤと嬉しく待っているのだ。


約8年前だがラーメンとチャーハンのセットで500円。10年前にしても相当安い。
500円セットと、ビールを一杯必ず頼んでいた。


4年ほどその店には通い、付かず離れずの距離感を保ったまま、週1は必ず通っていた。
何も話さない日もあれば、おじちゃんいきなりエンジン全開も日もある。

そして4年経ったある日、私は引っ越しする事が決まっており、最後にそのラーメン屋を訪れた。お饅頭を持って、「今まで本当にありがとうございました」と伝えたかった。


飲食店にそこまでの愛着を持つ。
そういう気持ちは今まで無かったので、初めての事だった。


いつものように、500円セットとビールを頼む。
いつもビールは早めに飲み干してしまうのだが、その日はいつまで経ってもビールが減らない。いや、これを飲み干してしまうと、お別れの言葉を言って店を出ないといけない。
それがとても寂しかったのだ。


ジョッキを何度も上げ下げしてはチビチビと飲んでいた。
とっくにぬくるなってしまったビールを最後に一気に流し込んだ。


お会計の前、用意していたお饅頭を渡しつつ、「引っ越しする事になり、もうお店に来られなくなってしまいます、今まで本当にありがとうございました」そう伝えた。


おばちゃんは笑顔とともに

「ありがとうね」と一言。

お会計をしようとする私を制して、

「今日はいいから。貰うわけにはいかないから」と。


今までおばちゃんやおじちゃんと何も深い話をした訳でもない。
ただお店に定期的にくる一お客の一人とお店の人。
でも私はその店を心から好きだった、あの2人の姿を見る事が大好きだった。
あんなに居心地の良い空間を作れる2人をとても尊敬していた。


最後になかなか飲み干す事の出来ず、ぬるくなったビールの味は、あのお店とあのお2人とともにずっと優しい記憶として今も残っている。


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