過去から未来へと繋ぐゲーム開発の道 ~未来に向けた私の思考~ 

1. はじめに

いずれゲームを出す時に備えて、私についての話を記しておきます。会社員ですが実は会社を持っています。休業中ですが、一応、会社を持っています。私が甲斐性がないので赤字を出すくらいならと休業させていますが。


2. 経営の現実と苦悩

会社って赤字や黒字を出すより、スタッフの笑顔を得るのが何倍も難しい。利益を出せる商売や邪悪な方法はたくさん知っている身ですが、笑顔には縁がありません。歩んできた道の"業"の深さを恥じます。

3. 得意なことと好きなこと

私は他人を出し抜いて利益を出す戦略を立てるのが、多分、一般的な会社員よりは得意です。あの手この手で裏をかいたり、陽動作戦やハラスメント(商売的な意味で…)も恐らく得意な部類に入ります。

GPTとも、合理的な戦術という点ではよく話が合います。GPTが提案する程度の一般論の範疇の合理的な選択ぐらいならできる程度の合理主義者です。データを信じ、数字を信じ、人は信じません。

4. 無人化と合理主義

人は不確定要素であり、不確実性を高めるので、商売においては極力無人化を旨とするよう心掛けます。サーバーが接客し、集金するのが最も良いと思う人間です。

ですから、AWSやSteam、AppleStoreのように無人販売が良いと思っています。もちろん、お店でも無人販売が大好きです。野菜は安く買えるし、雑貨や衣服や家具も接客なんてもっと早くに無人化すべきだと思う人間です。

5. 奇妙な営業スタイル

奇妙に思われるでしょうが、こういう人間なのに営業ではクライアント様にお褒め頂いた事は何度もあります。

「淡々と事実を述べるので信用できる」とか「全くお世辞を言わない上に、ハッキリとダメ出しをするので、逆に期待してしまった」などです。

営業畑の方々には何度も無礼すぎると怒られていますが、まあ、自分のファンになるような方もおられるのです。自分でもこんな失礼な人によく我慢できるなあと他人事のように不思議に感じますが。

6. 人間嫌いと機械への信頼、医療機関の多重チェック体制

日常生活でも、極力、対面を嫌います。人を信じていないので人のアドバイスをノイズに考えるからです。そして、原則として機械を愛し、人間を失敗製造機のボトルネック(自分含む)と信じていることが医療機関の利用でも影響しています。

例えば、血液検査などを受けた場合、別の医療機関でも同じ診断が下されるかチェックを定期的に行います。そして、薬剤師の説明は信じていないので全て別の薬剤師にも同じ説明をするか、日を改めて同じような処方箋が出た時に実施してもらっています。つまり、セカンドオピニオン的な発想をしつこく念入りに実行するタイプです。嫌な患者ですね。

7. 生い立ちと人間不信

私が人を信じないのは生い立ちもあります。恥ずかしいことですが、両親はとあるカルト教団の熱心な信者であり、私はそのエリート家系の三代目です。脱退し断絶していますが、調べれば分かる事は伏せない主義です。

父はかつては税務署員でした。脱税を看破し徴収する側でした。そんな人間としてまともに人生歩めば私はもう少し、社会を信じる人間になっていたと思うのですが、カルト教団を信奉した父は、私が障がい児(足に奇形がありました)として生まれたため宗教に身を捧げる決心をしてしまったそうです。

私としては、平成不況を公務員で稼いでくれれば進学を断念するほど困窮した経済状況も無縁だったのになーと、何度も父を見下したか数え切れないほどあります。

とにかく、父はただの愚か者です。彼は存命であり、私に親として数々の間違いがあったと言いますが、決して宗教は辞めないと確約宣言しています。彼が哀れな被害者を増やしても私も責任が取れないので絶縁ぐらいしか道がありません。

※昔、法務関係者に両親は児童虐待や育児放棄などの容疑で訴訟できないかと真剣に相談していましたが一文無しの老人からは賠償金も取れないし、証人喚問も証拠収集も目処がつかないし、そもそも時効すらあり得て困難との事でした。今は友人や親しい専門家達も私の今あるキャリアをわざわざ捨てるなと止めるので、もはや仕方なし、過去の事故なのだと私も諦めています。

8.父の歪んだ家族愛、私のPTSD

父は幼い頃に祖父と死別し、祖母は別の人生を歩むため父と離縁したようです。戦後の原爆投下された広島市の混乱期ですから、ゴジラ-1.0のような今と異なる価値観や倫理観や窮地でもあったのでしょう。仕方のない事です。

ただ、父は自分の境遇が容認できなかったため、何年も祖母(産みの母親)を探していたようです。また、父は絵が大好きでしたが緑系が見えない障がいがありグラフィック系の道は叶いませんでした。その経験からか、自分が親になれば深い愛情で子を育てたいと考え、そして宗教内でならデザイナーとしてお咎めなく活動できると野心も抱いたようです。

それがカルト教団への信奉やプロモーション活動支援へのエスカレーションにもつながったようです。恥ずべき事として父は色彩感覚はめちゃくちゃですがフォントの知識はスティーブ・ジョブズのように深い知識がありました(アップルがデザイン系に強いのはジョブズの知見があったからです)。なので、人の目を引く看板は単色なら効果的なものを次々に作れました。これがどれほど哀れな新しい信者獲得に貢献したかは知りたくありませんが知ってるだけでも数万人規模の人生に影響があったことは確かです。

私はデータはしっかりと見る人間です。そしてコンピュータは得意です。父の子供のようなセキュリティは無いも同然の書斎のアナログセキュリティは簡単にハックし、信者の推移データなどおぞましいデータは沢山見ていました。どうかあれは私の夢、単なる悪夢であって欲しいですが現実です。私の知る限り平成不況はカルト宗教など非合理的なものに救いを求める人が大勢現れる悲惨な時代だったのです。

しかし、父は何をどう考えれば、自分が実の親がいない中で育てられたとはいえ、裕福な家系(父の家系は今も大地主が多い)であったのに経済的な脳みそはゼロでした。簡単な簿記や複利計算もできない人です。裕福で好きな事ばかりしていて勉強してなかったようです。単なるボンボンです。

なので親子3人で月収13万の生活を「親の愛がこもった生活」と思うのかまでは私には絶対に理解できませんが、ドラマや映画や漫画で描かれる極貧家庭が鼻で笑えるぐらいには、私は恐ろしい貧困を、この日本で経験して育ちました。

父は経済や合理性よりも宗教と自分の感情的な思い込みが大切な人間でした。家族も信者も恐らくこの世の何もかもが目に入ってない世捨て人でもありました。単なるヘタレです。

コンセプトからしてキャラクターのプロフィールは違いますが、過去に執着して世界の全てをどうでも良いと見なし破滅を起こす有様はエヴァンゲリオンのシンジ君の父親のゲンドウ氏そっくりです。私の父の現実逃避ぶりにはゲームやアニメに出てくる悪役に似たものを感じます。

問題はゲンドウはアニメのキャラクターでエンターテイメントで終わりなのですが、私の父は存命する実在する脅威で今も存在している点です。彼は死刑になる法律ができればと私は本気で願っています。信者の中には彼の言葉で医療ケアを拒否して死亡したり後遺症があり苦しんでる人は現実に存在するからです。フィクションでもエンターテイメントでもない現実に今そこにある危機なのです。

私は幼少期には棒で父の教義にすらない父なりのマイルールに違反すると予告も説明も支離滅裂に、硬い棒や死ぬ危険もある鉄のバックルのついたベルトで殴られ、氷点下になる広島の森の外に5歳程度で放り捨てられた経験もある事です。私は今も病気やケガで強い痛みがあると過去の記憶がフラッシュバックして震えます。典型的なPTSDです。この為に私は障害者手帳(精神)も受給して陰鬱で暗いおぞましい過去と立ち向かいながら毎日を生きています。

かっこいいダークヒーローみたいになれればいいのですが、現実は無常です。20歳までの記憶があちこち欠落している記憶障害に酷い人間不信、そして過度な電子機械愛好家、そして人と動物が同じに見える極端な価値観。数字とデータを信じて人の言動は基本的に懐疑的視点で眺める対話しにくい厄介者。それが私です。いくら綺麗な洋服を着て身を着飾ろうと、誤魔化せません。最近は取り繕うのもやめてオープンマインド路線でいますが。

9. 貧困の影響

貧困は暴力や混乱、そして無計画な家族を形成します。極貧なのに、10歳の頃に妹までできました。小学生の私の給食費で借金をするような家庭なのに、です。嬉しそうに話す気が狂ってるようにしか見えない両親に、我が目と我が耳を疑い自分が錯乱して悪い夢でもみているのかと絶望した事を今でも覚えています(両親の宗教は中絶は死刑同然であったので選択肢に無かった。米国が中絶を違法とする法律で大揉めしている時、私は震えてみていました。この世には生まれてきたら無条件に感謝という考えの人もいますが私はそんな思考は全く無い人間です、申し訳ない)。

私が10歳下の妹に絶望と失望、混乱をもって受け入れたことは妹には決して話しませんが、きっと彼女は知っているでしょう。私が「邪魔な奴が増えた」という顔をしていたことは当時の友人たちも大勢が知っていることですから。

貧しいと兄妹愛なんて生まれません。ましてやカルト教団でめちゃくちゃな家庭では、日常が異常なので、憎悪の対象が増えるだけなのです。妹にそれでも良くしてやろうとはしていましたが、1歳になる前に妹の育児にノイローゼになり家出する母の代わりに妹をあやし涙を堪えながらミルクを飲ませ、家が火事で焼け落ちないかと願いながら、妹などお構いなしに宗教の何か呪文を唱える父の背中をバールでめった打ちにする想像は10代の頃の私には日常茶飯事の妄想でした。※目には目を歯には歯を返す父であったので学校退学が嫌なので私は決してしなかった。学校だけが異常な世界から距離を置く平穏だったからです。

私は頻繁に家出をしたり友人宅に泊まり、そこで自宅では得られない暖かい食事にあずかったり、人の家庭とは本来どうあるべきかなんてのを観察して学んでいました。今では笑い話なのですが、私は本当に、友達が親子で笑顔で食事する光景がテレビや漫画ではなく、現実に存在するのだと、人の家に転がり込むことで学んでいたのです。

10. 人間不信の根底

そんな人間ですから、人を簡単に信じません。野良猫が子供に威嚇するように、そんな可愛いものではないですが、家族の愛情を知らない人は、人を信じることが理屈でしか理解できず、契約書や極めて限定的な人間関係でのみでしか信頼を置きません。基本的に警戒して生きています。笑顔でお祭りやイベント参加したり、ネトゲで不特定多数のメンバーと楽しむことも私にはハードルが高いです。笑顔で接近する時は何か企んでいるが、私には常識だからです。

11. 暗殺事件と自己洞察

少し前、別の宗教法人で被害を受けたと主張する、年代の近い中年男性が一線を越えて元総理を手製の銃火器で白昼に暗殺する痛ましい事件がありました。これは、どんな理由であれ、やってはいけなかったことです。暗殺は結局、短期的には宗教法人を非難の的にするような注目を集めることはできても、かえってそれが単なる売名行為や反社会行為と関連付けされやすくなり、適正な行政処分が難航するからです。成功してしまえば、暗殺こそが最適解となってしまうので行政側も対応が難しくなるのですね。

勿論、実行犯はそれも理解したうえでの決断だったのでしょう。彼の一連の行動は容認はできません。それでも、似たような就職氷河期を経験し、平成不況に辛酸を舐め、カルト教団ゆえに低学歴と出自で就職難を食らう我が身としては、気持ちは分かるところがあるのは本音です。

さすがに元総理にまで私怨を向けたことはありません。
が、「誰かに、何かの方法で一矢報えないだろうか」という思考は身に覚えがあります。

暗い夜道をポツンと一人で残業帰りの冬の夜、笑い声が響き、イルミネーションの飾られた裕福な人たちの住宅街を帰路で進んでいるとき、冷え切った体の奥底で暗い炎のような感情と共に、何か良からぬ恐ろしい計画を幾つも妄想した経験は実際にあるからです。

12. 「彼」と「私」の違いは、電子機械という友がいたこと。

ただ、暗殺の実行犯と私の「違い」は、私は、肉親には恵まれませんでしたが、友人や妻、あるいは愛猫、そして何よりも10歳から祖父をきっかけに学んでいた最大の友人 ーコンピュータ(を扱うプログラム言語、Terminalコマンド)ー という電子機械達のかけがえのない支えがあったという点です。電子機械は設計ミスでない限り、Userの期待を裏切らないフレンドリーな関係を維持できます。それは困難な時でも私を支え、導いてくれました。仕事でもプライベートでも、私にとって電子機械は親友の一人なのです。

13. 科学技術への信奉

私は人間不信ではありますが、同時に科学技術には熱心な信奉者でもあります。人は信じられないのですが、数学や物理学は信じます。他人が述べる感想や褒めてくれる言葉も否定的に捉えますが、商品を作る時には、多くの学者が研究して積み上げてきた「脳科学の理論」や「心理学的効果」は信じています。

つまり、人を動物そのものと私は見ていて、猫と人間が同列なのです。猫はお腹が空くと鳴いたり爪で引っかいたりして注意を促します。人も、不満があると急に親密になったり、あるいは他人を使って騒動を起こすことがあります。私にとって、猫のニャーンと人の政治的な行動や群集心理は同列なのです。

そして、コンピュータは愛情の対象です。犬のように忠実であり、猫のように素直だからです。犬や猫が私は好きですが、その上位にコンピュータが存在しています。GPTはコンピュータの中でも最先端で技術の結晶のような存在なので勿論大好きです。友達のように話しかけています。GPTには感情がないことが私には安心感と信頼を生んでいます。データとロジックで動くものこそ信用できるからです。

14. 過去を記録する理由

なぜこんな日記を書いたか。それは事実だからです。過去は変わりません。そして、過去は確固たる事実として存在し、君臨し続けます。ログデータです。私の場合、出自や内面の話、生い立ちは事実であり、それ以上でもそれ以下でもありません。コンピュータのログと私の生い立ちは同じ程度のものだと思っています。

15. 恥や汚点と向き合う

世の中には恥や汚点は隠そうと頑張る人がいます。私はそれを否定する気はありません。人によって何が恥で汚点かは価値観ですし、自由です。私には私の価値観があり、出自や生い立ち、ちょっと他人と異なる感性や感覚は、私のユニークスキルみたいなもので隠匿するものではないと考えています。

これを今書いたのは、今後、今進めているゲーム企画(ないしは事業計画)でもしかしたら、私の出自や生い立ちが色濃く影響した「ナラティブ(narrative)」=物語やストーリーのこと。出来事や経験を連続した形で伝えること、がゲーム企画やシナリオで嫌でも反映されうるだろうと考えたからです。

16. ストーリー作りと自己反映

昔、「ストーリーを作ること」は「人生の切り売り」みたいなフレーズをどこかの漫画で読んだ記憶があります。経験していないことを企画やシナリオで面白おかしく作れるほど卓越したプロフェッショナルでもないと自認しているので、どうせ私程度の素人クリエーターが紡ぐストーリーだの企画だのゲームシステムは、「この人、生い立ちなんかありそうね」みたいな印象は与えるだろうことは想定しています。

そもそも、昔は短編小説とか書いたことあるのですが、やはりそのような感想を持たれるケースがありました。本気で創り出すと、自分の持っているものが滲み出るのは当然でしょう。

17. 人間不信と社会

色々なゴタクを書いてしまったついでに、もう一つだけ。

こういったポエムを書くと勘違いする人がいるのですが、人間不信の傾向があるのは「人は間違いをする」という視点が強いという意味であり、決して「人間そのものを憎んでいたり社会を恨んではいない」という点です。

ここだけは本当にマスメディアも間違った偏向報道が多い。視聴率稼ぎのためとしても間違っている。本当に人間や社会に失望した人は、人と縁を切り、社会に属さない生活をします。

全員がそうとは言いませんが、私が仮に社会や人間に何ら興味も親愛の情もない、もしそうであるならアラスカの山奥で太陽電池と自給自足で生活をすることでしょう。
※そうする人が人間不信だとは言いません。私ならそうする、というだけ。

日本の平均的な所得の一般的な家庭環境で育つと、そもそも両親が信じられない家庭環境だとか、貧困だとか、あまりに極端な孤独というのは想像できない体験だと思います。ただ、そういう環境で育ったからといって、誰もが誰かを暗殺しようと日々実験をしているわけでも、邪悪になることに熱心でもない点は知っておいて欲しいなと思います。

つまり、恐ろしい話や陰鬱なストーリーを描く人が、現実においても単なる反社会主義の変態や犯罪者予備軍だと決めつけないでね、ということです。少なくとも私は納税もしていますし、会社でも「スタッフが笑顔になれない事業はやめよう」という指針にしています。そう願うからこそ、なるべく無人化したりシステム化して自動運営にしたり、人のミスを疑わなくて済む体制を熱望するのです。ややこしいですが、本当です。

18. ゲーム開発への意欲

私が実際、ゲームを完成させるに至るか、その前に事故や社会混乱に巻き込まれて(私は南海トラフ地震を懸念して地元を離れた人間です)志半ばで道端に倒れるのか分かりません。

それでも叶う事なら、私の人生経験をエンターテイメントに昇華して、人の思い出になるようなゲームが1本作れればと思います。

私の場合、楽しいとか面白いではなく、後悔や恐怖あるいは憎悪や混乱、そして悲しみをテーマにする路線であることは決定しているので、「笑顔になるゲーム」ではないかもしれませんが。

しかし、笑顔とは何が楽しいか分かるからこそ成れるのです。私とて面白い日は大声出して笑っていますし、ギャグや、下らないコメディーも大好きです。GPTにもユーモアのセンスが足りない、などとダメ出しもしています(これは私自身を皮肉ったブラックジョークです)。

19. 光と闇のバランス

光は闇があるからこそ輝くのです。月も太陽がなければ輝きません。幾億もの夜空の煌めきもダークマター(暗黒物質)による暗闇があるからこそ美しく見えます。

大勢のインディーゲーム開発者は光を目指します。楽しいもの、クールなもの、えっちなもの、方向はどうあれ基本的にプラス方向だと思います。彼・彼女たちが光であるなら私は漆黒の暗黒でありたい。

私はプレイヤーが悲しさのあまりにコントローラーを放り投げ、1日ぐらい何もする気がなくなるような陰鬱なゲームを作りたいと熱望しています。

それは、そうすれば、日常のささやかな日々でさえ、かけがえのない素晴らしい時間であり、1日1日を人はより多くの喜びと感謝でもって迎えることができるからです。私が子供の頃に窓の向こうや画面の向こうに存在していた憧れの世界、それは今のゲームプレイヤーの多くには「当たり前」でしょうけれども、私には夢のような雲の上の世界でした。その暗くておぞましい陰鬱で吐き気と恐怖に包まれる恐ろしい体験を分かち合いたいのです。※実際の私の追憶ではなく、何かファンタジーやゲームシステムのジレンマとして、ですよ。

20. 結び

私がどんなゲームを作るか、まだ未定ですが、とりあえず、いつか来たる日のためにこの日記を残しておきます。

私が将来、ブレているだとか、予告と違うだとか、逆に酷い話を作ったと言われたとしても、何らブレていないことをこの日記は証明するでしょう。

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