神頼み
「どれにしようかな、神様の言う通り」程度にしか信心深くない私は年に2度神社を訪れる。一つはお祭りで、もう一つは初詣だ。
目的の半分くらいは冷たいビールかお神酒なのだけれど、一応は心静かに手を合わせ「今年もよい年になりますように。…よし、飲むぞ!」と心で思う。あまり良い事が無い年でも「今年も」が「今年は」に変わるだけだ。神様も呆れていた事だろう。とは言えビール園でも家でも飲めるのにわざわざ行くのは祭りの喧騒で飲むビールやキリッと凍えるような空気の中で飲むお神酒が、つまりは神社の雰囲気が好きなのかもしれない。
妊娠して初めてアルコールを止めた時も初詣だけは行き、心静かに手を合わせて「無事に産まれますように」と願っていた。もちろんお神酒は飲まない。
無事に産まれてからはお祭りも初詣も子供と一緒に行くようになった。毎年夏にはスーパーボールをすくい、宝石と言い張るキラキラのプラスチックをすくい、お化け屋敷の前を足早に通り過ぎる。冬にはオマケ付きおみくじを引いて小吉と末吉はどっちがいいのかと悩む。少し後ろ髪が引かれるけれどビールもお神酒も飲まない。心静かに手を合わせて願うのはやっぱり子供の事なのだけれど、いつからだろう「私はいいから」って思うようになった。「私はいいから」には「大人の私はもうどうでもいいから、私の分の幸運も子供にあげて」って意味だ。最初は大人なんだから自分の事は自分で何とかしますって気分だったと思う。それがいつの間にか自己犠牲みたいで、何か変だなと気が付いた。
だって「私はいいから」って言っても「子供が幸福=私も幸福」「子供が不幸=私も不幸」なのだから。つまりは私の幸せを願う絶対条件として子供の幸せがある。「私が幸せになりますように」と願ったとしても、そこには子供の幸せが当たり前に入っているのだ。
私にとって大切な事。このテーマについてお酒かな、いや子供だな、と考えていたけれど答えは「自分」だ。自分を大切にする事、親である自分が心身ともに健康でいる事は子供の為でもあるんだと思う。
もう3月も半ばですけど、私も皆さんにとっても
「今年は良い年になりますように」
※収穫を祝って秋にワインが飲めたら、年3回行くと思います。
え!?サポートですか?いただけたなら家を建てたいです。