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夢小品「熊人、そのあいまいな生態」

 *  学校から帰ると、家には四匹の熊がいた。三匹の小熊と一匹の母熊だった。熊たちは、はて、人のような気もする。熊が後足で立っているようにも見えるし、ただの熊の着ぐるみである気もする。熊型の寝巻のようなものを着ているのかもしれないし、ただ熊の耳のついたカチューシャを頭につけているだけのようにも思う。とにもかくにも、家には四匹の熊がいたのだ。  僕は、たぶん、いつもそうしているように、二階の自分の部屋に上がってコートと鞄を片づけ、部屋着に着替えて、また一階に戻る。洗面所で手を

    • 「性の問題について思うこと――正しさではなく」

       昨今、性的マイノリティやジェンダーの問題を語る言説を耳にしない日は少ないでしょう。この問題は多種多様な問題が絡み合い、コミットするにはそれなりの知識が必要とされ、しかしある意味では感情的であったり、個人的でセンスティブであったりします。  専門家でもなく、とくに知識を収拾しているわけでもない私としては、不用意に口を出し、誰かを傷つけたり、無知や醜態を晒したりするリスクをとるべきだとは思わないので、日ごろ積極的になにかを語るつもりはありません。  ただ今回あえてその問題に口を

      • 「緘黙――今日もどこかで……」

        「緘黙――今日もどこかで……」  言うべき言葉はすべて頭の中にある。なんだったらそれを教科書みたいに黙読することもできる。だけれど、いざそれを発話しようとすると、まったく声帯が震えない。のどの奥はただ力むだけで、空気は薄く開いた唇から間が抜けた音を立てて抜けていく。都会の中のみすぼらしい小川に住む汚いコイのように、あなたは口唇をわずかに上げ下げする。  そのうち相手はあなたの挙動のおかしいことに気づく。わざとやっているのか? ふざけているのか? と問い詰めてくる。驚き、呆

        • 「いつも 痛みの中を 生きている」

          「いつも 痛みの中を 生きている」  *  湯の沸騰した鍋の火を止めて、鍋に卵を家族分入れて十二分待てば温泉卵。これと冷奴を並べてごま油とめんつゆをかけて食うとうまいんだなあ。あとはちょいちょいと汁ものを作って、炊飯器はオッケーだし……  などと夕餉の支度に勤しんでいると、呼び鈴が鳴る。ぴーーーん……ぽーーーん。このマイペースな押し方は、小学四年生の次女のご帰還だ。私が玄関の扉を開けるやいなや、 「おとうさん、聞いてよー。今日さあ――」  手も洗わずにこれである。 「おう

        夢小品「熊人、そのあいまいな生態」

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        記事

          「英雄を、謳うまい――ポストコロナに向けての準備運動」

          以下の文章は2020年7月に執筆したものです。  * 「英雄を、謳うまい――ポストコロナに向けての準備運動」 1 コロナ前史  ……などと章題を打ってみたものの、もちろんアカデミックで客観的な通史など書けるはずもなく、ここに素描してみたのは、言ってしまえば、個人のイメージの、その簡易なモデルに過ぎない。それでも、いま、書かなくてはならない。  まず始まりを1995年1月、阪神淡路大震災および同年3月、オウム真理教による地下鉄サリン事件に設定したい。  1990年にバ

          「英雄を、謳うまい――ポストコロナに向けての準備運動」

          誰もいないポートレート 6

           *  先生が死んでからしばらくして、僕は独りで旅行に出た。彼女には、ただ旅行に出ることだけを書き置きで伝えた。面と向かってみても、自分でもうまく説明できないのがわかっていたから。  もらった手紙の封は開けられないままだった。どこかで開ける決心がつけばいいけれど、けっきょく開けられないままでも仕方ないだろうと、とりあえず他の荷物と一緒に旅行鞄に入れた。  先生の死は自分でも意外なほど僕の心を不安定にさせた。まるで自分の中にあった柔らかい肉の部分を大きなスプーンでごっそりえぐ

          誰もいないポートレート 6

          誰もいないポートレート 5

           幕間 「アミ」  一葉の写真がある。少年がカメラを両手に抱えて、空を見上げている。私たちはそれを少年の左側わずかに後方から見ている。季節は春だろうか。冬のクリアで厳しい色が和らぎ、春の場当たり的でぼんやりした空気の層を、その写真からは読みとることができる。彼の傍らには二本の電柱。春のはっきりしない空を、緑のワイヤーフェンス越しに見上げている。足元には白い花をつけたシロツメクサ。花は硬いアスファルトの隙間から、光を求めて生えている。少年と電柱とフェンスと花の影を、私たちは気

          誰もいないポートレート 5

          誰もいないポートレート 4

          4 誰もいないポートレート  最後にもう一枚。  雪原の写真だ。地平線まで広がる雪原で、あるものと言えば、葉をすべて落とし、立ち枯れた、細い木々が点々と写っているだけだ。雪は枝に積もり、朽ちたその木が遠目になんの木であるのか、誰にもわかりはしないだろう。日はなく、画面は薄い膜を通して見るような闇に覆われている。時は薄明のようにも見えるけれど、空は濁った薄灰色で、暁の微かな残光も見えはしない。だからきっと、そこはただたんに暗いだけなのだ。  あるいは、この風景の空気の中には、

          誰もいないポートレート 4

          誰もいないポートレート 3

          3 それは、悪くない物語  クリーム色のソファ席に並んで座っている女が二人、カメラに向かって笑顔を向けている。歯を見せて笑うような面白おかしい笑顔というわけではなくて、静かに表情の筋肉を緩めているというくらいのものだから、それが笑顔だというのは親しい人間か注意深い人間にしかわからないだろうけれど、でもそいつは間違いなく笑顔なのだ。  場所は、喫茶店かなにかだろう。女たちの前には飲み終わったカップと食べ終わった皿が、店員に見つかる前のモラトリアムの中でまどろんでいる。ライトウ

          誰もいないポートレート 3

          「誰もいないポートレート」 2

          2 いま、あなた、泣いていますよ  もう一枚。これは実際に撮った写真だ。でも誰にも公表はしていない。僕しか知らない写真。偶然撮れたもので、僕も撮ろうと思ったわけではないし、被写体も撮らせようとしたわけではない。  老年の男性の写真だ。そう、僕は写真に写るその男を老人と規定するのだけれど、被写体の実年齢は六十代で、現代の基準で言えば老人というにはやや若い。また、顔立ちは平凡で、年齢相応に皴が刻まれ、それこそ目を引くような美男子ではないのだけれど、失いきれなかった十代の幼さの欠

          「誰もいないポートレート」 2

          「誰もいないポートレート」1

          「誰もいないポートレート」 1 僕はシャッターが押せない  一葉の写真がある。    男と女が道を歩いている。男の方は二十代後半、女の方は二十歳にかかるかどうかというところだろう。男が前で女が後ろについていて、画面の左から右に向かって歩いていく最中だ。  そこは住宅地の真ん中の大通り、二世代前の商店が立ち並ぶ通り。二人の背景には、シャッターが半開きになった建具屋と、その右に、画面奥に伸びる細い路地が見える。季節はきっと晩春のころだろう。歩く二人は半袖で、画面の光の色は淡

          「誰もいないポートレート」1

          「尾道・雨――古本屋『弐拾㏈』を訪ねる」

           その古書店を訪れようと思ったことに、特段の理由があるわけじゃない。店主と顔見知りというわけでもないし、とくべつ本が好きなわけでもない。たまたま暇ができたわけでもないし、旅をするのには良い天気だったわけでもない。  ただまあ、いろいろあって(便利な言葉だ)、一度そこを訪れておかなければならないと、なぜだか思ってしまっただけだ。そいつは、たまに湧いてくる根拠のない義務感のようなもので、そんなもの日常生活の中で無視してしまえばいいのだろうけど、やれやれ、そういうの、捨て置けない人

          「尾道・雨――古本屋『弐拾㏈』を訪ねる」

          「祝われる 愛される 愛する」

          「祝われる 愛される 愛する」  休みの日、昼食のあと台所で食後のコーヒーを淹れていると、妻が「今日買い物に行ってきてもいいですか」と訊くので、僕はなんの気なしに「うん、わかった」と答える。と、僕の腰ぐらいの高さから一番末の息子が「きょうはおかあさんと買い物行くねん」と訊いてもいないのに叫び声をあげている。  ふうん?  妻と息子が二人だけで買い物に行く? 珍しい。なにかそんな用事があったっけ? と五秒ほど考えて、ああ、と僕は気づく。明日は僕の誕生日だった。  ためしに

          「祝われる 愛される 愛する」

          『許されない』ということについて

          「『許されない』ということについて」  つい最近、オリンピック開会式のごたごた辞任解任劇がニュースを賑わせました。今日はその事について語る――つもりはありません。解任された/辞任したそれぞれの関係者に個別の「程度」や「事情」がある以上、十把一絡げに妥当性を問うことはできませんし、そもそも妥当であるかどうか、当事者でも責任者でもない私には計りきれない。せいぜいみなさんと同じように心の中でだけなにかを思ったり、一般論でお茶を濁したりするだけです。  ただこの事件について一つだ

          『許されない』ということについて

          「架空都市マイカタの探訪」

          「架空都市マイカタの探訪」  なんとなく思い出したのは、ショッピングセンターの階段の踊り場の記憶だった。  一つは、ガラスブロックの向こうに川の土手が見える踊り場。  もう一つは、光の射し込みが悪くて、薄暗い踊り場。  僕はかつて、南北を大都市圏に挟まれた衛星都市「マイカタ市」に住んでいた。3歳から15歳の多感な時期を、僕はずっとその街で過ごした。田園だった土地を宅地開発した地域に住み、昭和の建設ラッシュ時に建てられた近所の学校に通い、週末は姉の習い事のついでに家族で郊外

          「架空都市マイカタの探訪」

          専業主夫日記「妻の髪」

          「妻の髪――女性解放戦争実録」  妻が髪色を変える。まず色を抜いて、それから青に染めるのだそうだ。ヘアサロンから帰ってきた妻の髪は黄色に近い茶髪に変わっていた。  おもしろい。  どちらかといえば童顔で小柄な妻が髪を明るくするとこうなるのかと、おもしろく眺めていたのだけれど、妻は僕に笑われたと言って不機嫌気味になってしまった。さて、どうしようか。  仕方がないので文字を打つ。僕はそんなことしかできない。  さて、ではまずこう書こう。  人は、自分の、好きな、格好を、

          専業主夫日記「妻の髪」