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木星印の細胞屋ガラージュの幕開け


舞台から落ちた瞬間には気絶。病室で目が覚めたのは五日後。意識が戻ってすぐ、左腕はもう永遠に戻ってこないのだと気付いた。




左手の義手を装着する。慣れた今では、三分あれば着けられる。最後に、腕の関節から手首の関節、指の関節の動きを確認。

ベテランの義肢装具士さんが作ってくれた義手は、とても使いやすい。脳が発する電気信号を察知してくれるので、関節は思い通りに動かせる。

着けた当初は、すぐに舞台役者に復帰できるという希望が湧いた。しかし、実際は。

朝の支度を手早く済ませて、唯一の日課の散歩に出かける。復帰を断念してから、冴えた空気に満ちた早朝の街の静けさが好きになった。

少し早く歩く。腕をしっかり振って。しばらく歩いて、苦しくなってきた。切れる息が、まだお前は生きているんだと迫ってくる。

長いリハビリ期間を終えて、やっと舞台に上がれるという時、私は恐怖でパニックに陥り、また病院に戻された。どんな医者も薬も、恐怖を取り去ってはくれなかった。

役者復帰を諦めた日から、左腕が重くなったように感じる。精巧な義手だが、元の腕のような触覚は無い。そのことに時々、猛烈な怒りが湧く。何に対しても気力が失せ、自分から孤立していった。

欠けた心も人工物で補填できたらいいのに。

細い路地で少し止まって、息を整えていた時、目の前の妙な看板が目に入った。木星のイラストが描かれた、淡い紫色の錆びついた看板。「細胞屋ガラージュ」と、ゴシック体で書かれている。

小さい店の壁には、シンプルな黒板ボードがかかっていた。”木製の精巧なオーダーメイド義肢がご入用の方は、ご相談ください”とだけ書かれている。怪しい。しかし、気になって仕方ない。

「あ、お客さんですか?」

ボードをじっと見ていたら、突然後ろから話しかけられた。ブルネットの美髪と堀の深い顔立ちが印象的な、背の高い女性。強烈な華やかさに圧倒されて、思考回路がぐちゃぐちゃになる。

「あ、その、あの、そう……です」

「あら!嬉しい!どうぞどうぞ、お入りください」


「まず、当店オリジナルの木製義肢の説明をいたしましょう。当店では、生きている樹木の細胞をお客様の細胞に同化させるという方法で、義肢を作っております。作り方は、お客様に適合する樹木の欠片を、取り付けたい部分に数分間、密着させるだけ。痛みはありません。木の欠片はお客様の細胞と同化して、DNAの配列を学習しながら義肢に変化するのです」

革張りの椅子に座りながら、ぼんやりと女性の突拍子もない説明を聞いている。なんで、客だなんて言ってしまったんだろう。

「義肢となった樹木は、DNA配列の指示通りに分裂して増え、崩壊するという新陳代謝のサイクルを繰り返すようになります。神経まで完璧に再現できるので、一度装着すれば、一生自分の手足として違和感なく使用できるでしょう。ああ、あえて神経細胞は再現せず、取り外し可能にすることもできますが」

「あの、その樹木って、どんなものなんですか」

神経まで。その言葉が気になって、つい質問してしまった。女性は嬉しそうに、奥から大きな銀製のお盆を持ってきた。お盆には六角形にカットされた直径二十cmほどの木片が、いくつか乗っている。

「この中から、こちらでお客様に適合するものをお選びします。木星から送られてくる、特別生命力の強い樹木の欠片です。木星にいる付き合いの長い友人のお店から、仕入れています」

「も、木星?木星って、あの星の?」冗談だろうと思ったが、目の前の女性は、いたって真面目な様子だ。

「はい。地球人には有毒ガスに満ちた死の星と思われていますが、実は木星は地球以上に緑豊かな星なのです。伐採されても生き続ける上に、他の生き物に完璧に擬態できる神秘の樹木が、あちこちに生えています。植物たちが放つ微細な粒子が星を覆い、地球人の目に幻影を見せているのです。ああ、内緒ですよ」

女性は真剣な顔つきのままで、しーっと指を口に当てた。光沢のある六角形の木片をじっと見る。

「この木は、心も補ってくれますか」

左腕を右手で掴む。なぜか、左腕が少し痛い。

「……残念ながら。しかし、生命は時々奇跡を起こします。可能性はゼロではありませんよ。ちなみに、お代として頂いているのは、お客様が使用していた義肢です。どうぞゆっくり、ご検討ください」

女性の穏やかな眼差しと落ち着いた声が、左腕の痛みを和らげてくれた。




あと十秒で、舞台の幕が上がる。ああ、やっと。怖くない。戻ってこれた。木製の左腕をまっすぐ上げるポーズをとって、静止する。五、四、三、二、一。


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