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門松ステーションに初参り


「あの門松だけは、絶対、捨てちゃだめだ」

久しぶりに祖父母の家に家族全員が集まり、正月の宴を楽しんでいた時、突然祖父が大きな声を出した。全員が驚いて全ての会話が途切れ、祖父は気まずそうにテレビを点けた。

アナウンサーの声につられて、だんだんと賑やかさが戻ってくる。兄と母に挟まれた席で、箸に挟んでいた伊達巻きをかじる。咀嚼そしゃくしながら、黙ってテレビを見続ける祖父を見つめた。

珍しい。無口な祖父は、大きな声なんてめったに出さない。物置きスペースの大部分を占領しているあの門松を、母と祖母が邪魔だと軽く言っただけなのに。

今年も玄関先に設置されたあの大きな門松に、そこまで思い入れがあることにも驚いた。特に伝統や行事にこだわるタイプでもないはずなのに。

伊達巻きを飲み込んで、箸を黒豆に伸ばした。





お正月の集まりから数日後、私はまた祖父母の家に訪れた。あの門松の片付けも、我が家の正月のイベントの一つになっている。

塩で清めてから綺麗に拭いて、三本の竹を紐でまとめ、大きな風呂敷に包む。全ての作業が終わった後、祖父は布で包まれた門松を愛おしそうに撫でた。

「この門松って、おじいちゃんが買ったの?」

「いいや、ずっと代々、家にあるものだよ」

「え……代々って、百年以上あるってこと?」

「そうだ。魔法の門松だ。あと千年くらいは綺麗なままだろう」

大真面目な顔でさらりと答えた祖父に絶句する。幼い頃から見慣れている門松。竹は本物なのに、ずっと青々とした色を保っている。ずっと不思議に思っていた。そうか、魔法。いやいや、そんな馬鹿な。

「はーい、お茶入ったよー」

リビングから祖母の声が聞こえてくると、祖父はすぐにリビングに行ってしまった。呆然と、考える。魔法。無骨な祖父の口からそんな単語が出るとは。

門松は、毎年お焚き上げする人も多いと聞く。もしかして、ずっと家に置き過ぎて、呪い、なんてものが……。

ぺらりと、布を捲って門松を見た。鮮やかな黄緑色だ。顔を近づけて、よく観察してみる。特に変わった所は無い。

ふふっと笑いが出る。怖がっていた自分がおかしい。

何となく門松の穴の中を覗いた時、何か穴の奥から、聞こえた。いや、空耳だろう。そう思って、そう思いたくて、もう一度穴に耳を澄ませると、聞こえてしまった。人の声。はっきりと。


「……三本線ホームに、十両編成のカプセルが参ります。ご乗車のお客様は黄色い線の内側で……」


素早く穴から耳を離し、したたかに尻もちをついた。

驚きで、お尻の痛みもやってこない。駅でよく聞く、あのアナウンス。紛れもなく、そうだった。なんで。

呆然としていると、視界が暗くなった。納戸の小さい窓から差し込む光が、竹の穴に集中していく。細くなった光線が門松の穴の中に入り、光の線路が出来上がった。そして、光の奥から小さい卵のような白く光る物体が、何個も連なってやってくる。

光の線路を辿って、滑り落ちるようにスポッと竹の穴に入っていく。トンネルに入っていく電車のようだった。

光の線路が消えて、部屋の明るさが戻った瞬間、すぐに竹の穴の中を覗いた。暗くて、何も見えない。耳を澄ます。何を言っているのかは聞き取れないが、何か、ざわざわと無数の人が話す気配がする。

気付けば、祖父が私の横にいた。にやにやと嬉しそうに笑っている。

「お前も見えたか、やっと聞こえたか。ほぅらな、魔法の門松だろう。竹の奥の世界で、小人が住んでるんだよ。小人たちの大切な駅なんだ、これは。だから、捨てないでやってくれ」

私の頭を撫でてくれる祖父の大きな手の懐かしさと、安心した勢いでなぜか涙腺が緩んだ。うえぇぇと泣きだした私に祖父は一瞬ぎょっとしたが、すぐに抱き締めてくれた。

祖父の胸で泣くなんて、幼い頃もしなかった。がっしりと祖父の胴体に腕を回して、思い切り泣く。きっと、最初で最後のチャンスだ。きっちり泣いておこう。

はははははと心底おかしそうに笑う祖父は、ずっと私の後頭部を撫でてくれている。

”……一本線ホームに急行カプセルが参ります……黄色い線の内側で、お待ちください……”

竹の中で流れているであろうアナウンスが、頭の中で繰り返される。今年も門松の駅にはまた、卵の電車が光る線路を辿ってやってくるのだろう。



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